ヒストリー
旧SCCJ(1951/3)
SCCJ再建総会(1955/12/14)
SCCJスポーティング・コード制定(1958/3)
東海道ラリー・日本自動車クラブ連盟(FAJ)発足(1961)
鈴鹿サーキット竣工・日本自動車連盟(JAF)創立(1962)
東アフリカ・サファリラリーに参加(1963/4)
つづく
旧SCCJ
1951/3
終戦間も無い占領下の1951年3月、英国人主催のMGCCを母体として
駐日米軍将校が主体とり”SPORTS CAR
CLUB OF JAPAN”
が設立されました。
同年4月には戦後初のスピードレースを船橋オートレース場で開催し、9月には
東京−京都間のロードレースを開催、11月には我が国初のラリー(東京−日光)
を行い、12月には茂原飛行場においてスポーツカーによる3時間耐久レースを
催すなど、精力的にモータースポーツ活動を展開し、同時にジムカーナのような
自動車競技も日本に紹介しました。
講和条約の締結により主力メンバーが順次帰国して活動が低下し、1953年夏の
ラリー・イベントを最後に自然消滅状態となって短い歴史に一旦幕が下ろされました。
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SCCJ再建総会
1955/12/14
旧SCCJの数少ない日本人正会員4名が発起人となり、同好の士を募って1955/12/14
、20名の参加により、初めて日本人が主体となる”日本スポーツカークラブ(SCCJ)”
の再建総会が開かれ、初代会長に旧SCCJの正会員であった片山豊氏(現SCCJ名誉会長)
が選出され、クラブエンブレムも松風清風氏のデザインによる現行のものに一新されました。
新生SCCJにも依然外国人会員が多数参加しましたが、旧SCCJの流れをくむ米軍将校達は
やはり1955/12、独自に東京スポーツカークラブ(TSCC)を設立しました。
以来、源流を同じくするSCCJとTSCCは10年以上もの間兄弟クラブのように交流し会い、
国際親善にも寄与しました。例月のイベント通知は英文と和文の同居が慣例でした。
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SCCJスポーティング・コード制定
1958/3
SCCJはFIAコードを基本とし、それにクラブ独自のルールを盛り込んだSCCJ
スポーティング・コードを制定して、各種競技の公平を期し、同時に安全を確保する為、
すべてのSCCJイベントにこの規定を適用することを決定しました。
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SCCJ東海道ラリー 東京−京都−東京
1961/11/3,5
我が国初の秒単位計測によるラリーを開催しました。
Trip1は榊、山田組のJaguar2.4が優勝しました。
Trip2は石塚兄弟のPrince_Skylineが優勝しました。
1961/11/18
日本自動車クラブ連盟(FAJ)発足
約2年に渡る設立準備を終えたカークラブの連合体は、1961/11/18高輪プリンスホテル
において設立総会を開催、日本自動車クラブ連盟(FAJ)として正式に発足しました。
加盟クラブはSCCJ,TDK(トヨペット),NDC(ダットサン),4CV,DKW,
スバル,ヒルマンの7クラブ
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1962/11/4
鈴鹿サーキット
9月に竣工した新設鈴鹿サーキットで行われたエキシビションでSCCJとTSCCは
スポーツカーでパレードを行いました。
1962/10
日本自動車連盟(JAF)創立
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1963/4
東アフリカ・サファリラリーに参加
宮本正之、安田富男、山田義男の三氏はFAJチームとしてコンテッサで東アフリカ
・サファリラリーに参加しました。
この年5月には第一回日本グランプリが開催され、多数のメンバーが、ドライバーとして、
メカニックとして、或いはオフィシャルとして参加しました。
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