鈴木 太郎のアメリカ便り No-2


古い車随想

SCCJの皆さん、こんにちは。ご機嫌いかがですか。

学問的に説明されているものかどうかよく分かりませんが、常々思うに人間の記憶というものは瓶に水を入れるようなもので、記憶保有量に絶対的な限度というものがあって限度に達すると足した分だけ外にこぼれてどこかに行ってしまう、しかしはじめに入れた分は下のほうに沈んでいて決して無くならない、といったようなものではないでしょうか。つまり、昨日のことは良く忘れるのに何十年も前のことははっきり覚えているという経験を中年以上の皆さん方お持ちではありませんか。

そこで本題の古い車ですが、趣味の対象としてみると私の場合は古いといっても自分より前の時代のものについては割合冷淡なのです。もちろん技術的にはたとえば1902年当時オランダのスパイカー(Spyker)というメーカーがすでに4WDを作っていたなどという話は大いに興味があります。しかし実車や写真を見てなんとなく胸の中に灯がともるのはやはり何かの形で古い記憶を呼び起こす車、すなわち自分の体験と直接重なる車にとどめをさします。

たとえばこんな記憶があります。まだ小学生だったその頃の私は電車通学をしており、毎朝プラットホームに立って電車を待つあいだすぐそばの踏切を通る車をぼんやり見るのが好きでした。あるときハタと気がついたのは線路の上を通り過ぎるとき車体と関係なく車輪が上下に動くという事実でした。要するにサスペンションが作動している様子を見たということだけなのですが、誰にも教えられたわけでなく自分で発見したのがやけに嬉しく今にして思えば自動車エンジニアリングの世界に足を踏み入れるきっかけを経験したのはこのときが初めてではなかったかという気がします。その車は48-49年のビュイックでした。

また中学生になってからのことですが、バスの車体はあんなに長いのに後車軸がどうして前の方にあるのかという疑問を無意識に持っていたと思います。きっかけはさだかではないのですが、タイトなコーナーを回るのに後車軸が前の方が(つまりホイールベースが短い)回りやすいということにあるとき気づき目から鱗が落ちたことを覚えています。このときのバスはいすゞでした。1950年代は覚えておられる方も多いと思いますが、バスのデザインにはメーカーの特徴がはっきりあって、俗に言うボンネットスタイルでしたから今のようにみんなタダの箱ではなく、記憶も鮮明です。

1950年代半ばはタクシー用としてトヨペット・マスターのような国産車が出始めた時代ですが、まだタクシーに奇妙な外国車が使われていた時代でもありました。たとえばトライアンフ・メイフラワーとかシトロエン・2CV(!!)などがなぜか印象強く、良く覚えています。また2ドアのVWビートルすら使われていたと記憶します。

高校生になって運転免許をとってからは父の手元にあった57年型オールズモビル・スーパー88の記憶がやはり一番強烈です。前のバンパーがひとつの大きなクロームの輪になっている独特のデザインでした。この車は私がおおっぴらに運転してはいけないことになっていたのですが、どうしても魅力には勝てず何度か朝早起きをしてこっそり持ち出して交通量ゼロの丸子多摩川から二子へ行く土手の道を時速70キロの高速でドキドキしながら走った事実はもう時効なので白状します。

この年のオールズは公称277馬力ということで(SAE表示)、トヨペットクラウンが多分100馬力に満たない時代ですからまさにスーパーカーといっても良い車でした。トルコン付き自動変速機との組み合わせによる低速からの強大かつクリーミーなトルクはまさに夢のようで、都内で走っても反対車線に出て瞬時に追い越しが完了出来るのですからたまりません。ちょうど反対車線の追越しが禁止される直前のことでした。また、この車はコーナーを早く回る面白さを始めて体験させてくれた車でもあります。

装備としては、ウィンドシールドワッシャーが付いていたのが珍しかったのを覚えています。ただワイパー自体は旧式のバキューム作動だったのでアクセルを踏み込むと動きが遅くなるというものでした。それともうひとつ、パワーステアリングも当時の日本では珍しかったと思いますが、一度運転中に何故かエンストを起こし、パワーアシスト無しのステアリングはいかに重いかを実際に体験しました。現代だったらリコール騒ぎになりかねない話ですが。

私が本格的に自動車に目覚めた1950年代はアメリカ車が最も輝いていた時代です。その頃は現物もさることながら、広告もまた当時の日本では本当に目の覚めるようなものばかりでした。Life、Saturday Evening Post、National Geographicといった雑誌に載っていた広告(写真でなくイラストが多く使われていた)は記憶に鮮やかです。

今でもこの時代の写真や広告を見ると胸の中がほっと温かくなります。これは車の思い出以上にむしろその時代の生活や背景のすべてが記憶によみがえることによる効果ではないでしょうか。自分自身が未熟で未経験だったせいもありますが、本当に無邪気な文字通り古き良き時代だったと思います。もっとも私より年上の世代の方々に言わせれば本当のGood Old Daysとは1930年代(または20年代、etc.)のことなのだよ、とおっしゃられるかも知れませんが・・・。

今日はこれで失礼します。次回もまたよろしくお付き合いください。

1957年型オールヅモビル型録から
(注)オールヅの「ツ」に濁点は実際昔このように片仮名で書いていました。余談ですが、キャデラックはカデラックと言っていました。またカタログを型録と書くのはたしか50年代終わりくらいまでは見たと思うので、雰囲気を出したく漢字としました。
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