鈴木 太郎のアメリカ便り No-7


Woodward Avenue Dream Cruise - The World's Greatest Traffic Jam

SCCJの皆さん、ご機嫌いかがでしょうか。今日は前回に続いて、もうひとつ自動車のお祭りの話をしたいと思います。

Woodward Avenueというのはデトロイトの中心から北に向かってポンティアック市(あの車のPontiacです)までまっすぐ伸びるメインストリートの名前です。Cruiseというのは例えば航空機が一定の高度と速度を保って飛行する状態や、警察官が車で担当地域を巡回することを表現するのに使われますが(パトカーのことをpolice cruiserと呼ぶ)、念のため辞書を見ると、「ただ走る目的のために走る」、「あてもなく走り回る」という基本的な解釈が書いてあります。ここでの使われ方はこれに該当し、要するに車でただそのあたりを走り回るということを意味します。

最近では事実上消滅してしまいましたが1950年代から1970年の初期まで、つまり第2次大戦のあと経済が落ち着いてから第1次オイルショックまでの時代、アメリカ各都市でティーンエージャーたちが車で町の中を走り回るということが娯楽として流行していました。American Graffitiという映画をご覧になった方は描かれていた様子を思い出して下さい。あれがCruisingです。

Woodward Avenueは、Cruisingの舞台としてデトロイト近辺のみならず、全国的にも知られた存在でした。このDream Cruiseというイベントは、当時のティーンエージャーや当時若すぎて運転免許が取れなかった世代の人達がその時代の車に乗ってその様子を再現しようとしたのがきっかけとなっています。最初はごく小さな規模で始まったわけですが、90年代なかばからは正式なイベントと認められ、また沿道の地方自治体のサポートも得られるようになりました。当然地元のメディアが注目し、さらに地元の自動車メーカーも放っておかず8年経ったいまでは夏の1大イベントとして定着するようになりました。

デトロイト近辺はもちろん、州の外からこの1日のイベントのために訪れる人も多く、どのようにして数えるかわかりませんが車で走る人と沿道の観客を合わせて150万人、車は数万台と言われており、その規模がお分かりいただけると思います。

昔からWoodward Avenueの全長を使うのではなく、デトロイトの北の端に隣接するファーンデールという町からはじまって北はポンティアックの南の端にあるTed'sというドライブインまでの部分を使うのが通例となっていました。なぜデトロイトを避けたかというとデトロイト警察がこの行為を禁止していたため、という話を先日の新聞で読んではじめて知りました。これに比べて郊外では当時まだ交通量が少なく、取り締まりも事実上存在しなかったのでしょう。

Cruisingはただ走るだけかというとそうではなく、むしろ沿道にあるドライブインにたむろしてだべったり自分の車を自慢しあったり、またお目当ての異性に近づく良い機会なのでそちらの方で時間を過ごすことの方が多かったようです。ここでまたAmerican Graffitiを思い出してください。

それと、彼らのもうひとつの楽しみは加速を競うストリートドラッグレースです。車の自慢の大部分は性能、それも直線の加速性能でしたから、ドライブインで出会った格好な相手に勝負を挑んで相手が乗ってきたらすぐ道路に出てヨーイドンではじまるわけです。もちろんタイヤやエンジンの音はうるさいしまた時として事故が起きたと思いますが、それでも警察が許していたわけですからいかに寛大でのんびりしていたか想像がつきます。

当時のガソリンの値段は1ガロン当たり15-20セント。時代が違うとはいえ今の10分の1に近い安さで、懐の軽いティーンエージャーでも5ドルもポケットにあればガソリンを入れたあと食べたり飲んだりして夜の更けるまで楽しめたという時代です。

今年のDream Cruiseは幸い天候にも恵まれ、平穏に終了しました。Woodward Avenueは私の自宅から1/2マイルの距離なので歩いていけば駐車の心配をせずにすみます。この道路は片側4車線、往復8車線の文字通りのAvenueでいつもは比較的余裕があるのに、この日は土曜というのに大変な混雑です。片側4車線のうち2車線をCruiseに使わせ、あとの2車線を普通のトラフィックが使うというはずなのにそれがまったく守られておらず、かといってだれも気にしている様子もありません。

参加している車は文字通りAはAvantiからZはZ-28まで、その間にBel Air, Continental, DeSoto, Edsel, Fairlane, Greenbrier, Henry J, Impala, Jeepster, Kaiser, LeSabre, Mustang, Nash, Omega, Packard, QradraTrac, Roadmaster, Studebaker, Toronado, Universal, Valiant, Willys, X-11, Yugoといった具合になるでしょうか。いかがですか、全部おわかりでしょうか。

Greenbrierはシボレー・コルベアをベースにしたミニバンです(当時ミニバンの名称はまだなかった)。セダンと同じ空冷水平対抗6気筒エンジンを使っていました。QuadraTracは実は車の名前ではなく、初期のジープ・ワゴネアに使われたちょっとユニークな4駆システムの商品名です。Universalはジープの1モデル名、X-11はシボレー・サイテーション(GM最初の横置きFF車)のスポーティーバージョンです。

最後のYugoはアメリカ車ではなく、ユーゴスラビアで製造したフィアット127をMalcom Bricklinという人(スバル360をアメリカに輸入したり、ガルウイングドアのスポーツカーを作った)がYugoと呼んでアメリカに輸入したものです。当時いちばん安い車でもほとんどが1万ドルに近かったと思いますが、Yugoは3千ドル台という破格の値段でした。しかし安かろう悪かろうの極端な例だったため、長続きしませんでした。

話をもとにもどして、Dream Cruiseでは事実上何でもアリですからどんな車で参加しても良いのですが、当然なことに50年代から70年代のアメリカ車が圧倒的に多く、時々JaguarやFerrariもいるのですが気のせいかなんとなく貧弱に見えて、まったく雰囲気に合いません。日本車にいたってはとうとう1台も見なかったと思います。

例外はアングロアメリカンのShelby Cobraで、数多く作られているレプリカの方が多かったようですが、かなりの数がバーミングハムの町の中に集まっていました。バーミングハムはこのイベントをサポートしている市のひとつなので、町なかでは駐車場を開放して特定のメーク、サンダーバードとかポンティアックGTOとかの集団のために展示する場所を与えていました。

一方観客はどのようにして車を見るかというと、私のように歩き回っている人もいますが、一般的で楽な方法は道端に椅子を据えて飲み物を入れたクーラーボックスをそばに置き、のんびりとかまえて行き交う車に向かって手を振ると言うスタイルです。家族連れの多くがそうして半日のピクニックを楽しんでいました。

このちょっと変わったイベントを見て一番印象的なのは、30年から50年も前の車がこれほどの数、しかも非常に良いコンディションに保たれて個人の手元に存在すると言う事実です。もちろんその頃シボレーなどは単一車種で年間100万台を作ったわけですから(これ自体今の基準では信じられないことですが)当たり前とは言うものの、参加している車の大部分がミシガン東南部の地域だけから来ているという事実と考えあわせるとアメリカの自動車文化の底深さを感じずにはいられません。これは地元デトロイトにとどまらず、数年前にペンシルバニアの片田舎の小さな町で古い車のショウに行き合わせ、きれいに保たれた車の数に圧倒されたことを思い出しました。

デトロイトは別名をMotown(MotorとTownをつないだ造成語)といい、ご存知のようにアメリカ自動車産業の中心地として君臨してきました。このところトヨタやVWなどの外国メーカーの攻勢にあって苦戦を強いられていますが、輸入車はまだゲテ物として扱われていた底抜けにイノセントな時代(Good Old Days)を当時の若者たちが思い出し、なつかしい雰囲気にひたったという夏の一日でした。

あまりにスケールが大きく写真に捕らえるのが難しかったのですが、数枚添付しましたのでご覧ください。

それでは次回までお元気で。

(この項おわり)
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