鈴木 太郎のアメリカ便り No-13


シボレー・コルベット、最初の50年 − その3

SCCJの皆さん、こんにちは。コルベットの歴史第3部、最終回です。

第4世代 ‐ 1984年から1996年まで
第3世代は1982年型をもって引退しましたが、翌83年は空白の年となりました。
その理由は後継モデルである第4世代が1983年の3月に84年型として発売されたためで、
公式には83年型は存在しないのです。その結果84年モデルイャーは延長されて17ヶ月と
なりました。また早期発売のため、新型コルベットは84年に発効した新しい排ガスと
衝突安全の両規制に適合した初めての車ということになりました。



第4世代は先代後期に引き続いてクーペスタイルのみで発売されましたが、屋根は
乗員の頭の後ろの"ロールバー"まで一体で取り外せるタルガ・スタイルを採用、また
リアウインドーはガラス全体が持ち上がるハッチを形成しています。新しいボディーの
デザインは先代が持っていたアクの強さが消え、すっきりした端正な形状となりました。
ヘッドライトは第2世代スティングレイから続く格納式、テールランプは丸型のものが
片側2個ずつ装備され、1961年からの伝統を引き継いでいます。

シャシーとフレームも完全な新設計です。深いセンタートンネルと深いサイドシルを
土台とした3次元のフレーム構成は床を5センチ、屋根を2.5センチも下げることを可能にし、
逆に最低地上高は少し上がってサスペンショントラベルが増えるなどの恩恵をもたらしました。
ただ深いサイドシルと低い座席面のため乗り降りはいささか面倒で、肥った人やご婦人たちには
余り評判がよくありませんでした。

技術的に興味深いのはリアサスペンションに使われた横置きのファイバーグラス製のリーフ
スプリングで、たしか量産車では世界ではじめての例ではないかと思います。サスペンションには
鍛造アルミ部品が多く使われていて、幅の広いタイヤに比べ繊細とも言えるアームの細さは
印象的です。また、ジャガーEタイプに似たフェンダーが一体となったフードを開けると
サスペンションやエンジン、補機類などへのアクセスが非常に良いのが特徴でした。

新型車の室内でまず目を引くのが"宇宙時代の技術"と呼ばれた液晶とバックライティングを
つかったデジタルの計器です。デジタル表示の計器については賛否両論があるようで、特に
スポーツカーの場合はおおむね否の意見が多いようですが、私はうまくデザインされたものは
近代的で好ましいと思います。良いデザインの例としては現代のホンダS2000、それとたしか
日本で初めて採用の80年代初期のいすずピアッツァが印象に残っています。コルベットのものは
いろいろな情報を表示しようと欲張りすぎたため計器版全体が煩雑になり、また日光が直接
当たると読めなくなる問題を解決していなかったので成功とは言えませんでした。

この年のエンジンは350立方インチ、5.7リッターで205馬力、マニュアルのトランスミッション
には独特の"4+3"と呼ばれたDoug_Nash製のものが使われていました。このトランスミッションは
ベースの4速に上3速に効く2段サブミッションが付き、サブミッションの選択は運転状況によって
コンピューターが判断して決めるという複雑なものです。これを使った理由は新しい燃費規制への
適合対策でした。この今でも存在する法律はCAFE (Corporate Average Fuel Economy) と呼ばれ、
メーカーごとに生産台数の比重を掛けた総生産の平均燃費を規制するものです。当時の乗用車に
対する規制値は1ガロン当たり19.5マイル(リッター当たり8.3キロ)でした。ちなみに現在では
27.5MPG(11.7Km/L)となっています。

エンジンは排気量に比べてまだ非力でしたが、この年から標準装備されたABSと新しいサスペンションが
もたらす良好なハンドリングを武器として第4世代コルベットは84年から87年までSCCAのShowroom
Stockクラスのレースを総なめにし、あまりの強さに悲鳴を上げたポルシェなど他車のドライバーからの
プロテストによってSCCAはコルベットの参加禁止を宣言、他車が追いつく90年までこのクラスからの
締め出しを食らう破目となりました。

1986年には12年ぶりにコンバーチブルが復活。1989年にはタイヤの空気圧が一定値より下回ると
警告灯がつくタイヤプレッシャーモニター、走りながら硬さを3段階に変えられる電子制御ショック
アブソーバー、それに不評だった4+3マニュアルトランスミッションに換えて6速型が導入されました。
この6速型にも燃費規制対応のためコンピューター制御が使われていて、ある条件(すなわち公式燃費
テストのドライブスケジュールの条件)では1速からのアップシフトでシフトレバーを手前に引くと
2速がブロックされてとなりの4速に直接入るSkip_Shiftと呼ばれるものです。大排気量、大トルク
エンジンならではのやり方ですが、実用上はギアレシオのステップアップが大きいので違和感があります。
ただしこのシステムは運転の仕方で作動を避けることが出来るのです。たとえば1速を出て3-4のゲートに
いったん持っていってから1-2に戻す、あるいは1速で2,000回転以上引っ張る、また1速でアクセルを
大きく踏み込むなど、要するに公式燃費テストのドライブスケジュールを外れるような運転をすれば2速を
ブロックされないのです。





1990年にはZR-1と呼ばれる高性能版が復活しました。前回お話した高性能エンジンの消滅以来、
実に16年ぶりのことです。新しいエンジンは当時GMが100%の株を所有していたイギリスのロータス社に
設計を依頼した総アルミ製のV8で気筒当り4バルブ。合計4本のカムシャフトを装備し、標準エンジンと
同じ350立方インチ(5.7リッター)の排気量から375馬力を発生、最高速度は172mphと言われました。
LT-5と呼ばれたこのエンジンはアルミ加工の経験が豊富なOutboard_Marines社(マーキュリー船舶用
エンジンのメーカー)に製造が委託されました。

発売当時のZR-1は$58,100と標準型の1.8倍を越える価格でしたが最初の年には3,049台を売り、
生産が終わる1995年までには合計6,939台がオーナーの手に渡りました。

LT-5エンジンは発売後も改良が続き、1993年には405馬力まで出力が向上、最高速度も180mphとなりました。
一方当時gas_guzzler_taxの名で知られた燃費の悪い車に対してかけられる税金のリミット、
市街地・ハイウェイの複合燃費22.5mpgを越える23.1mpgの成績で見事にクリアし、性能と経済性を
両立させる近代技術の力を実証して見せました。

1990年に計器がアナログ式に戻され、同じ年にドライバー側のエアバッグが標準装備、また1992年には
ベースエンジンである5.7リッターLT-1の出力が300馬力に上げられ、トラクションコントロールも
標準となりました。さらに1994年にはランフラットタイヤが標準装備、これは空気圧ゼロでもサイド
ウォールの剛性で車重を支え、55mph以下の速度で200マイルの距離を走れるというものです。

上記のようにZR-1は1995年に生産中止となりましたが、翌1996年にはベースエンジンを改良したLT-4が
導入され、OHVはそのままに新設計のアルミヘッド、カムシャフトとロッカーアームにローラーベアリングを
採用するなどして5.7リッターから330馬力を発生させ、ZR-1に使われたLT-5との実用上の差はほとんど
なくなったと言われました。

第4世代は1996年型をもって生産が打ち切りとなり、13年のあいだに合計368,180台がオーナーの手に
渡っています。

個人的な話ですが、私にとって第4世代は重要な意味を持っています。それまでのコルベットはもちろん
いろいろな意味で興味を持って見てはいたのですが、正直言って自分で所有したいという強い気持ちは
湧きませんでした。それまでトライアンフTR-4(リジッドアクスルの最終型)、フィアット124スポーツ
(クーペとスパイダー)、ポルシェ911(2.4リッターの"S")のほかオペルGT(2台乗継ぎ)、ポンティアック・
フィエロ(4台乗継ぎ)などに乗っており、比較的小排気量の小型車にかたむく傾向があったことは認めざるを
得ません。それと、前回にもお話した車体剛性感の不足という不満がもうひとつの理由です。

この認識が変わるきっかけが80年代後半の第4世代コンバーチブルでのミシガン北部への長距離旅行でした。
フリーウェイで速度を上げるとそれまでの車体剛性の不足によるガタピシする感じが次第に消えていく
うれしい発見をし、これはいけると感じたのです。この現象は恐らく路面からの入力の速度が車速の上昇に
ともなって上がると車体の反応が追いつかなくなるためと私なりの解釈をしていますが、後にサーブ900
カブリオレでも同様の経験をしています。

その後アメリカで数回、1995年に日本に赴任してからも乗る機会があって徐々にコルベットの良い面が
拡大して見えるようになり、やがて1997年型第5世代の発表を迎えることになります。



第5世代 - 1997年から現代まで
第5世代のコルベットはC5という名前で呼ばれています。CorvetteのCと5th_Generationの5を
組み合わせたもので、正式に認められている呼び名です。同様に第4世代をC4と呼ぶ場合がありますが、
販売されていた当時はこの呼び名は無かったはずなので本文では使っていません。

C5の開発は1990年代初頭の経済難のために何度も遅らされ、一時はコルベットを存続するべきかどうかの
議論さえあったということですが、1997年型として発売された車は期待を上回る出来栄えでした。



ボディーは発売当初は先代同様の大型ガラスハッチを持ったクーペのみ。先代より曲面を多用した
新しいデザインは後ろから見ると大きなお尻が目立つという批判が一部にあるものの、空力的に
効果があるのは間違いなく0.29という優れたCd値が公表されています。

別体フレームにプラスティックボディーをのせる基本構造はこれまでの伝統に沿っていますが、
フレーム自体は鋼管をハイドロフォームという新しい製法で成型したものを使い、センタートンネルも
閉断面として剛性向上の役割を与え、それによりサイドフレームの高さを抑えて先代で不評だった
乗り降りのしやすさを改善しています。技術的に興味深いボディーの特徴のひとつに乗員の乗る部分の
床に使ったバルサをアルミ板の間に挟んだ複合材があり、これによって軽量化、遮音、剛性確保など
複数の条件を同時に満たしています。

新しい車体は目標値を高く設定し最新解析技術を駆使して設計されたことは疑いなく、第5世代にして
ようやくコルベットの車体剛性は世界第一級の特性を有することとなりました。この車体は98年に
1年遅れで登場するコンバーチブルを基準として最初から設計されたと言われ、事実コンバーチブルの
剛性不足はクーペの屋根を切り取ったためで仕方ないと言う弁解は全く不要となりました。

新しいエンジンはLS-1と呼ばれ、これまでの350立方インチ(5.7リッター)排気量、プッシュロッド作動に
よるOHVなど基本デザインは継承しているものの、ついに総アルミ製となり、最高出力345馬力を発生します。

ボディーのバリエーションは1998年のコンバーチブルに続き1999年にハードトップと称して後部の屋根に
ノッチのついたスタイルが追加されました。この2つのスタイルはコルベットとしては1962年型以来
はじめて独立したトランクリッドを持つことになり、使い勝手が向上しました。同時に大きなお尻が
幸いしてトランクにはゴルフバッグが2個楽に納まる容量を確保しています。

1998年の終わりにシボレーディビジョンは30年ぶりに公式にレース活動に復帰することを発表、C5-Rと
呼ばれる車を導入しました。この車はルマン、デイトナ、セブリングなどの長距離耐久スポーツカー
レースのほか、新しくはじまったAmerican_LeMans_Seriesと呼ばれるアメリカで開催されるスポーツカー
レースへの参加を目標としています。大きなリアウイングを別にするとCR-5の外観は量産型のC5と
そっくりですが、もちろん中身はレース専用の別物で重量も量産車の1500キロ弱から1100キロ強まで
大幅に軽減されています。



初年の1999年はたいした成績が残せなかったものの、翌2000年にはルマン24時間で2台のC5-Rが
総合10,11位、GTSクラスに3,4位でフィニッシュ。2002年にはデイトナ24時間に総合優勝と4位を
獲得。同じ年のルマン24時間ではGTSクラス1,2位と大成功を収めました。発売50周年にあたる今年の
ルマンでは連勝が期待されながらもクラス優勝を英国から参加したフェラーリ・マラネロにとられ、
惜しくも2位となりました。

一方量産車の改良も続き、2000年には高性能版としてZO6のオプションコードで呼ばれるモデルが
導入されました。LS-6と呼ばれるエンジンはプッシュロッドのLS-1をもとにして385馬力を発生、
0-60MPHの加速は4.0秒と先代の高性能版、ZR-1のタイムを0.5秒短縮しています。このLS-6エンジンの
出力は2002年には405馬力まで上げられ、より複雑で高価だった先代ZR-1のLT-4エンジンと同出力に
なりました。



2003年のバリエーションとして発売された50周年記念モデルは、地味ながら非常に凝ったダークレッドの
メタリックペイントの塗装と標準モデルのちょっと素っ気ない黒に換えて薄いベージュの内装という
組み合わせを持ち、技術面ではMagneto-Rheological Fluid(MRF)を応用した可変ショックアブソーバーを
特徴としています。このMRFという液体は磁場に置かれると瞬時に粘度が変わる特性を持っており、
これを使ったショックアブソーバーは電子制御によって1000分の1秒単位で硬さを変えられると
いうものです。これによって運転状況に応じて乗り心地重視とコーナリング重視の間で特性を
文字通り瞬時に使い分けることが可能となりました。



これまでいろいろな機会にお話ししましたが、私は現在2002年型のC5コンバーチブルを所有しています。
昔と比べて隔世の感を強調するのは4速オートマチックが標準で、6速マニュアルにはエキストラを
払わなければならなかったことです。ある雑誌記事によれば、C5になってから元ヨーロッパ製スポーツ
カーのオーナーがコルベットを購入するケースが増えているとの事ですが、自分でオーナーになるきっかけを
考えると理由がよく分かる気がします。

何度も繰り返すようですが、いまや世界的レベルに達した車体剛性感とその結果生まれるスポーツカー
としてはとても良い乗り心地、驚くくらいに良いハイウェイ燃費などがその気になればいつでも得られる
爆発的な加速という本来の魅力を引き立てて、総合的に非常に満足感のあるオーナーシップの経験を
もたらしています。あばたもえくぼの状態であえて不満をあげるとすればダッシュボードまわりの
デザインがちょっと平凡で私がスポーツカーに求める緊張感に欠けること、フロントのエアダムが低く
擦りやすいという点などでしょうか。

雑誌などではすでに次の第6世代のスクープ写真や記事がとり上げられています。現代の変化の激しい
自動車ビジネスの環境で、しかもGMという世界一大きいメーカーにおいてこのように比較的限られた
マーケットを対象とした製品が50年にわたって作り続けられ、さらに近未来も保証されているという
事実は特筆されるべきことではないでしょうか。次の50年の間にはどのように変わっていくのか、
私も出来ることなら100周年記念モデルに乗りたいと思います。どなたか不老の名薬をご存知でしたら
ぜひお知らせいただきたいものです。

(この項終わり)

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