鈴木 太郎のアメリカ便り No-14


ミシガンのUPに旧友を訪ねる

SCCJの皆さん、その後お元気ですか。今年の暑い夏はどのようにお過ごしになったでしょうか。

今回の標題をご説明します。UPは"アップ"ではなく"ユーピー"と読みます。お手元にアメリカの地図があったら広げてみて下さい。私の住むミシガン州は西のミシガン湖と東のヒューロン湖に挟まれた手袋の形をした大きな半島と、北方にスペリア湖と接した横長の半島からなっています。このふたつの半島はミシガン湖とヒューロン湖をつなぐ狭い海峡で隔てられていて、地続きで行くとすればミシガン湖の南から西を回ってインディアナ、イリノイ、ウィスコンシンの3州を通っていかねばなりません。

南の半島をLower Peninsula、北の半島はUpper Peninsulaと呼び、標題に使ったUPはUpper Peninsulaの頭文字をとった地元特有の呼び名です。さらにUPという名をもじってUP出身の人、またはUPに住む人をUPer(ユーパーと発音)と呼びます。一方、何故かLower PeninsulaをLPと呼ぶことはありません。

5大湖のひとつスペリア湖に面しているとはいえ、これといった話題性を持たないUPは新聞・雑誌などで取り上げられることはまれで、非常に地味な存在といえます。特に自動車の世界ではほとんど人の話題に上ることもありません。しばらく前のRoad & Track誌に載ったUPでのSUV冬季試乗の記事は珍しい出来事として私の記憶に残っています。実は私たちが惹かれる理由はそこにあって、観光地的な雰囲気がなく気取ったところもないという点が気に入って娘が小さい頃はよく夏休みに訪れていました。また、私自身は車の冬季テストのため一冬に数週間を過ごした思い出もあります。

前置きはこのくらいにして、今年の夏UPを久しぶりに旅した経験をお話したいと思います。旅の主な目的は長い間会っていない旧知の友人を訪問することでした。

ミシガン東南部デトロイト郊外の私の自宅からUPへ行く場合、車を使うのが普通の方法です。道順はインターステート75号線で北上、Lower Peninsula北端の町マキノゥシティーを経由してそこからミシガン湖とヒューロン湖をつなぐマキノゥ海峡に架けられた全長8キロのマキノゥ・ブリッジ(Mackinac Bridge)を渡ってUPに入ります。ここまで自宅から約280マイル(450キロ)の距離です。ちなみにこのインターステート75号は、南はフロリダ州南部にあるネープルスからミシガンUPの北東カナダとの国境にあるスー・セント・マリー(Sault Ste. Marie)までをつなぐ文字通りアメリカ南北縦断のフリーウェイです。

UPに入ってからはフリーウェイを降り、一般道で方向を西にとってUPを横断し、目的地のホートン(Houghton)に向かうわけですが、橋までの距離とそこからホートンまではほぼ同じ距離、全体で550マイル(880キロ)の道のりとなります。これを1日で行く計画にしました。

マキノゥシティーまではただ距離をかせぐための道で、ドライブ自体の楽しみはあまり味わえません。ミシガンは州全体が基本的に平坦な地形なので、その真ん中を縦断する75号線フリーウェイはまっすぐの部分が多く、また雑木林を切りひらいて作られた部分が多いので景色も単調です。ちょうど独立記念日祭日の週末直後だったので交通量は比較的少なかったのですが、それでもバスのように大きいキャンピングカー(RVというとアメリカではこれのことを指す)や、キャンプ用トレーラーを引いた車、それに屋根や後部に自転車や小型のボートをのせたSUVが多く目に付きます。

一方私達のコルベットは断然少数派、コルベット以外のスポーツ・GTカーにいたってはこの旅行中はほとんど目にしませんでした。面白いことにコルベットのドライバー同士がすれ違うとき手を上げて挨拶します。昔スポーツカードライバーの間には暗黙の仲間意識があってごく当たり前に行われていた習慣ですが、それがまだ残っていることを発見しました。

途中交通渋滞もなく順調にマキノゥシティーまで4時間プラスで着き、ここで給油をしました。なんとなくUPより燃料の値段が安いだろうと思ったのが給油の理由だったのですが、これは判断の誤りでした。後で分かったとおり顧客の大多数が旅行者のこの町ではかえってUPより値段が高かったのです。

マキノゥブリッジは5大湖で使われる大型貨物船が下を通れるよう、中央部が湖面からかなりの高さに作られています。たしか20年ほど前のことでしたが、風の強い冬の日にここを通った小型車が風に煽られて湖に落ちるという事故がありました。吹き飛ばされた車は当時"ユーゴ"という名で売られたユーゴスラビア製フィアット127だったのですが、運転していたとされた若い女性はどれほど怖い思いをしたか想像も出来ません。この人は気の毒なことに遺体も見つかりませんでした。

私達は何事もなく橋をわたって対岸の町セント・イグナス(St. Ignace)に入りました。この橋の上から見えるところには映画の舞台にもなったマキノゥアイランドという全体がリゾートになった島があって、セント・イグナスはこの島に渡るフェリーの拠点です。ここは自動車が禁止されていて代わりに馬車や自転車を使うのが特徴で、他にも甘党に人気のファッジという菓子や世界一長いフロントポーチを持つといわれるグランドホテル、またヒューロン、ミシガン湖縦断ヨットレースのゴール地点としても有名です。

セント・イグナスを過ぎたところでフリーウェイを離れ、あとは一般道を行きます。片側1車線ずつの道路ですから、たまたま前に遅いキャンパーなどがいると追い越しに結構なスリルを味わうというのが私のこれまでの経験でした。ところが今回発見したのが数マイルおきに設けてある追い越し用の第3車線です。最近数年の間に作られたと聞きましたが、これで交通の流れはスムーズになり、無理な追越しをして危険な目にあうこともなく、そのため気分的にもリラックス出来るのでとても楽です。人口が絶対的に低く、交通量も大都市周辺に比べるとはるかに低いので、建設費用のかかるフリーウェイよりこちらの方が合理的で正しい解答だと思いました。

この州道28号線はUPのほぼ真ん中を横断していますが、途中2つの小さな町の間25マイルの区間が完全に直線というめずらしい部分があります。想像してみて下さい、40キロの直線路です。どの自動車メーカーの専用テストコースもこれにはかないません。この区間は交叉する横道がほとんどなく、しかも路肩から両側20メートルくらい木を切り払って見通しは非常に良いので、片側1車線ながらその気になればかなりのスピードを出すことが可能ですが油断は禁物です。私自身もその昔ピストル式のレーダーガンにやられた苦い経験があります。ピストル式は引き金を引くまではレーダー波を出さないので、探知機が鳴り出したときはすでに遅いのです。

長い直線路が終わってほどなくスペリア湖の水が見えてきます。ここでクリスマスという名前の村を通ります。そのめずらしい名前のためクリスマスカードの季節になると消印目当てに郵便局が賑わうといわれる町で、昔は標識に気をつけていないと見過ごすような全く目立たない村だったのですが、今は店なども増えて結構なサイズの町となっていました。

そのまま湖水に沿って走り続け、マーケット(Marquette)の町に着きました。ここはUPで一番大きい町でNorthern Michigan Universityという大学があります。すでに夕刻が近づいていたのでここで食事をするため小休止とし、最近各地に増えた地ビールの醸造所(micro brewery)とレストランを兼ねた店を見つけてホワイトフィッシュの料理を注文しました。ホワイトフィッシュはこの辺りで多く獲れる淡水魚でくせのない味の魚です。

先を急ぐので食事のあとすぐに出発。道はまた水を離れて国道41号線となって内陸に入り、北に向かって湖に指のように突き出したキワノー(Keweenaw)半島に向かいます。ようやく日は傾き始め、あたりに人気が全くなくなったさびしい林の中の道をひたすら走ります。今日の目的地ホートンまであと100マイル弱、大昔この地にはじめて足を踏み入れた人たちは夕方さぞかし心細い思いをしたのでしょう。以前ここに来たとき買った絵葉書で道路標識に"End of the world 1 mile, Houghton 3 miles" (この世の終わりまで1マイル、ホートンまで3マイル)と書かれた写真を思い出しました。つまりホートンはこの世の終わりよりさらに先の方にある僻地というジョークですが、それが実感として感じられるような気さえしてきます。

約70マイル走ってランス(L'Anse)を通過し、岸に沿って北上します。ここはL'Anse Bayという湾に面しており冬季は湾が氷結します。昔私の担当していたプロジェクトで氷上にテストコースを作りABSブレーキやトラクションコントロールの試験に使ったことがあります。ここはまたアメリカ原住民(アメリカンインディアンという言葉はいま差別語となっている)の居住区となっていてランス湾の漁業権は彼らのものと聞きました。

1日の終わりはどうしても気が急くもので平均速度は段々上がり、日没前にホートンに到着しました。あとで気付くのですがここを訪れた7月初旬は日が長く、特にデトロイトより800キロも北西に位置するこの地では日没がデトロイトの8時半過ぎに対し10時を過ぎてもまだ明るさが残っているのです。

UPはその気候や自然環境が似ているという理由のためかスカンジナビア系の移民が多く住み着いたところで、私たちのホストH氏も当地出身のフィンランド系二世の建築家です。22年前に私たちが現在の家を買ったとき隣に自分で設計した家に住んでいた人たちで、それ以来の付き合いです。もと高校の先生だった奥さんもミシガン生まれですが、南半島の手袋の親指に相当する地域(thumb areaと呼ばれる)の出身です。二人とも13年前にリタイアしてアリゾナ州スコッツデールとホートンを半年ごとに行き来しています。この家ももちろん彼の設計で、北欧独特のミニマリズムを基礎にしたデザインはもっと大きくもっと華美にという近代の流行とは明らかに一線を画し、私たちの好みにぴったりでした。

H氏はデトロイトで著名な建築事務所のチーフデザイナーの地位をリタイアしたあともフリーランスで設計の仕事を続け、ホートンでは母校Michigan Technological UniversityのほかFinlandia Universityといった地元の大学の施設のほか、新しい教会の設計などいくつもの実績を残しています。翌日そのひとつの教会を彼の案内で訪れました。かなり予算の制限がきつかったということで、単位面積あたりのコストが普通の住宅よりむしろ低いという彼の設計は安普請という印象はなく、簡素な美しさが際立って地元でもすでに有名になっているとの事です。特に正面の祭壇のうしろが大きな窓になっていて、四季ごとに変わる景色がそのまま背景となるすばらしいデザインでした。

UPは木材のほか数十年前までは鉄や銅の鉱石が主産物でした。ここキワノー半島は銅の産地として知られましたが現在は掘り尽くしてしまい、鉱山はすべて廃鉱となっています。電化が時代の最先端を行っていた頃、銅がいかに重要だったかは採掘の中心地であったキャルメット(Calumet)という町がミシガン州都の候補にされた時代があったという事実が証明しています。いまのさびれた様子からは想像しにくいのですが、華やかだった時代には大きなホテルやオペラ劇場もあってニューヨークから一流の歌手を呼んで公演を行ったそうです。

掘りだされた鉱石は地元で金属を抽出してから船で5大湖の南、デトロイトやオハイオ州トリドまで運んだわけですが、このスペリア湖は特に冬の天候が荒れることが多く遭難の悲劇がいくつも生まれています。このためスペリア湖の沿岸には燈台がいくつもあって、特にここキワノー半島イーグルハーバーのものは環境にマッチした美しさで知られています。

2日目にはそのイーグルハーバーを通ってキワノーの先端にあるコッパーハーバーを訪れました。このあたりは豪雪地帯で、途中道路脇にたてられた高い柱が過去の最高積雪量が一冬で320インチ(8メーター)に達したことを示していました。町外れの山の上にはゴルフ場と一緒になったログキャビンを持つリゾートがあり、ここの施設は1930年代の経済大恐慌のとき失業者対策として政府が行ったプロジェクトのひとつとして建てられたものです。以前に夏休みで来ていた頃は定宿として何度も泊まった所ですが、10数年前の記憶から全く変わっていないように見えほっとしました。しかし後日地元の新聞で現在自然のまま残してあるコッパーハーバーの先の岬の部分を別荘地として開拓する提案があるとの記事を読み、大都市周辺ですでに起こっていることがいよいよここまで押し寄せようとしているのかと暗澹とした気持ちを味わいました。この半島は中ほどを背骨のように低い山が通っており、その尾根を伝うブラインドコーナーの続く道を楽しみながらホートンへ戻りました。

お世話になったH氏夫妻宅を辞したあと、マーケットまでもどってもう一人昔の知人を訪ねました。この人は私がエンジニアとして働き始めた頃私の設計した機械の部品を手作りしてくれた技能工の未亡人です。数年前に亡くなったご主人のM氏はやはりフィンランド系二世でランスの近くのバラガ(Baraga)出身です。この人の専門はいわゆるtool and die maker、すなわち機械部品製造のための工具を作る職業で、手先の器用さと熟練、それに金属の特性に関する知識などが不可欠な特殊な職業です。アメリカ工業の発展の一端を支えてきた重要な職業ですが私はいろいろな意味でこの人から多くを教えられました。一方高等教育を受けていないM氏に対して私からいろいろ理論的な説明をしてあげたことを大変に感謝してくれ、とても良い関係を築くことが出来た忘れられない人でした。

比較的若くしてリタイアしたあと夫婦両方の出身地であったキワノーにもどって住み、冬はフロリダで過ごすという生活を続けていました。残念なことに5年ほど前に亡くなったという知らせを受けていたので、どうしても奥さんには会いたいと思っていたのがこのほど実現の機会に恵まれたというわけです。M夫人を訪ねたのは彼女が一人になってからバラガの家を処分して移った高齢者専用のアパートでした。おそらく80歳を越えているはずのM夫人は昔と変わらずしゃきしゃきしていて、若い頃ののろけ話まで出る始末。昼食を一緒にしながら楽しいときを過ごすことが出来ました。別れ際の"私を忘れないでいてくれてありがとう"という一言には妻も私もちょっとほろりとしたものです。

この日はマーケットからUPの東の端に近いシーダービル(Cedarville)というところにある友人K氏夫妻の別荘まで行く予定で、マーケットからは200マイルをちょっと越える距離でした。M夫人と別れた直後に降り出した雨はどんどん激しくなり、視界が遮られるほどの時もあってドライブを楽しむという条件からは程遠いものでした。ありがたいことにコンバーチブルの対候性とエアコンは万全で不安なく、ただひたすら目的地を目指して走り続けすでに薄暗くなったシーダービルに到着しました。

シーダービルは前述のマキノーブリッジから東に30マイルほど行った半島の南側、ヒューロン湖に面したところにあります。この辺りの地形は大昔氷河に削られて出来たもので氷河の流れた南西の方向に向かって見事に並んだ小さな島が点在しており、K氏夫妻のサマーコテージはそのうち一番大きい島を対岸に見るところにあります。ここはK氏が亡くなったご両親から受け継いだもので、冬に使うことを想定していないので暖炉のほかは暖房設備も壁の断熱材もない典型的な昔風のサマーコテージです。

北のホートンとはがらりと違ったサマーリゾートという環境のためでしょう、この辺りの別荘には皆ボートがあってここに来るとボートの趣味もいいなと思わずにはいられません。なかでもクラシカルなパワーボートの花形とされるクリスクラフトはニスで仕上げた木製の船体と真鍮の金具類がかもし出す雰囲気と船体の形そのものの美しさには惚れ惚れさせられます。とは言っても水が苦手の私には冷静に考えればボートは向いていないことがよく分かっているつもりなのですが。K氏のパワーボートは、昨年訪れたときは調子の悪かったエンジンを私のアドバイスで調整をしてからよく回るようになり、今回も短時間ながら乗せてもらう機会がありました。

のんびりと1週間をすごしたUPに別れを告げ、最後にマキノーブリッジのたもとセント・イグナスの魚屋で獲りたてのホワイトフィッシュと燻製のチャブという鱒に似た魚を買い、しっかり氷詰めにしてもらって帰途につきました。そこからはまた単調な道を走り続けて夕方帰宅、全行程1,300マイルのUPの旅を終えました。 (この項終わり)

No.1  ミシガン州はふたつの半島からなっている。
No.2  マキノゥブリッジの眺望。
No.3  ホートンの町ダウンタウン風景。 No.4  H氏の設計になる教会。
No.5  イーグルハーバーの風景、湾の外は広大なスペリア湖。
No.6  キワノー半島の背骨、ブロックマウンテンの原生林。
No.7  K氏夫妻のサマーコテージ。
No.8  氷河に削られて出来たLes Cheneaux (snowの意)群島。
No.9  K氏のコテージからの眺め、中央は水中に突き出た岩に建てられたコテージ。


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