鈴木 太郎のアメリカ便り No-20


8月半ばの週末

SCCJの皆さん、こんにちは。

8月も半ばになるとここ南部ミシガンでは時にハッと思わせるような涼しく乾燥した天候の日があり、夕方には降るような虫の声が聞こえ、木々の葉は見るからに勢いを失い紅葉を始める気の早い木もあるなど、明らかに夏の終わりをあちこちで感じるようになります。子供たちがもうすぐ始まる新学期をちょっと意識し始め、親たちはその準備に忙しくなる季節でもあります。

今年の8月16・17日の週末は車好きにとっては注目すべきイベントが集中しました。まずカリフォルニアでは恒例のペブルビーチ・コンクールデレガンスとラグナ・セカのモントレー・ヒストリックレース。ミシガンでは土曜にウッドワードアベニュー・ドリームクルーズ、日曜にはミシガン・インターナショナル・スピードウェイで400マイルのスプリントカップを頂点としたNASCAR主催の各種レースが行われ、折からの北京オリンピック中継と合わせて忙しい週末でした。

私自身は土曜に過去2年ほど欠席していたドリームクルーズを観て、日曜には古い車を集めたスポーツカーレースを観戦するため中部ミシガンへ出かけてきました。今回はこの二つのイベントの印象をご報告したいと思います。

8月16日土曜日 ウッドワードアベニュー・ドリームクルーズ
ドリームクルーズについては2002年のアメリカ便り第9回でご紹介しましたが、あれからもう6年もの時が過ぎてしまいました。

ドリームクルーズというのは、1950年代から70年代の時期にアメリカの若者に人気のあったクルージングと呼ばれる娯楽を、今はいいおじさんとなった当時の若者たちが復活させようと今から15年近く前にはじめて開催したイベントです。クルージングとは週末の夜それぞれが自慢の車を持ち寄ってドライブインにたむろし、町の目抜き通りを走り回り、信号ではドラッグレースで速さを競い合ったりして時を過ごすものです。何年か前に「アメリカン・グラフィティ」という映画がありましたが、この中で若者たちが興じていたのがクルージングです。

もちろん全米各地の町で行われていましたが、なかでもデトロイトのウッドワード・アベニューとグラシオット・アベニューはクルージングの舞台として全国的によく知られていました。アメリカのメーカー各社が発表前の高性能車をウッドワードのドラッグレースで走らせ密かにテストしたという伝説すら残っています。

今の時代にこれをお祭りとして復活させようとしたきっかけは、ウッドワード・アベニューの沿道の町のひとつであるファーンデール市で、子供たちのサッカー練習場を作るための資金集めのために考えだされたローカルなイベントが発端となったということです。以来今年で14回目となりますが、年を追うごとに評判が広まって、今では沿道の各自治体のみならずアメリカの自動車メーカー(最近はビッグスリーではなくデトロイトスリーと呼ばれる)のバックアップも得てアメリカ国内だけでなく外国でも知られる恒例のイベントとなり、参加車台数4万台、観客数100万人のとてつもなく大きな規模に成長したのです。

私の自宅はウッドワード・アベニューから0.5マイル程の距離にあり、見物のために歩いて行けます。昨年と一昨年はいろいろな事情のため見ることができなかったのですが、今年しばらくぶりに行ってみて形は同じイベントながら数年前とはどこかが違うという印象を受けたのです。その理由を考えてみました。

まず気づいたのは走っている車の大きな変化です。以前はもともとの趣旨から考えても当然なことに1950年代から70年代までの全盛期のアメリカ車が絶対多数を占め、外国車は影が非常に薄く日本車にいたっては絶対に見られなかったと言っていいほどでした。

それが今回はまず歩いてウッドワードに出た途端、ちょうどコンボイで走ってきた6−7台のポルシェ928に出くわしたのです。多分オーナーズクラブの会員が申し合わせて集まったのでしょう。さらに歩いていると今度は今年初めて発売になったスマート・フォーツーが1台また1台と走ってきたのです。数年前までのドリームクルーズの風景が頭にあった私には異様な光景と映りました。後になって分かったのですが、スマートはインポーターがバーミングハムの街中に展示のブースを作るなど、パブリシティーに力を入れていたのとも関係があるようです。

スマートは1万ドルプラスから始まる低価格のほか、低燃費とカーボン・フットプリントが小さなことを売り物にしていますが、たまたま現在の石油高と高まる環境への関心といった事情にうまく合ったとはいえ、二人乗りの限られた実用性やハイオクガソリン指定などの欠点を上回る特長を打ち出すのは容易ではなく、新しい物好きの人達が珍しさで買うという域を大きく出てはいないと思います。

日本と同様今年の春以降アメリカでも石油価格が急騰し、みるみるうちにレギュラーガソリンの値段が史上最高の1ガロン当たり4ドル(現在のレートでリッター当たり約116円)を超えさらに上がり続けたので、一時は5ドルの壁も超えて最終的には7ドルにまでになるのでは、と危惧されました。2002年にお送りしたアメリカ便り第5回で触れた当時のガソリン価格と比較すると変化の大きさがよく分かります。これを書いている8月末の時点では4ドル50セント近かったピークから3ドル70セントのレベルまで下がって、この数週間は一応安定しているように見えます。あまりの高値に恐れをなして一般大衆が夏休みの行楽シーズンにも拘らずドライブを控えたので、ガソリン消費量が減少したのがひとつの理由と言われています。

昨年春に1ガロン当たり3ドルを超えたときはこれほど大きな大衆の反応はなかったと思います。もちろん日本やヨーロッパ諸国などの多くの国に比べればまだ相対的に安価であるのは承知の上ですが、4ドルという値段はアメリカの消費者にとっては心理的に大きな壁だったようで、あれほど人気があって文字通りのドル箱だった大型SUVの売れ行きが暴落、アメリカのみならず日本を含むすべてのメーカーは大慌てで経営の軌道修正を余儀なくされました。

話をドリームクルーズにもどして、外国車の参加が目立つという事実の意味を考えてみました。純粋に私個人の考えに過ぎませんが、結局いまの市場の性格を正直に反映している、というのが結論です。このイベントが14年前に始まったときの意図がその昔のクルーズを再現するというノスタルジックな趣向のものだったので、昔ポピュラーだった車を集めたのが初期の姿だったと思います。あの頃は(アメリカの)国産車が圧倒的な強さで市場を支配しており、外国製の車は販売力も販売台数も低く、ほんの一握りの普通とはちょっと違う趣味を持つ人たちが興味を示す特殊なものとして考えられていました。

あれから半世紀が過ぎた今では市場と業界の様子が大きく変わって、デトロイトスリーのシェアは縮小しました。外国メーカーのアメリカ現地生産やアメリカのメーカーが外国の自社工場で作った車を輸入することも珍しくなくなっており、完成車組み立てはともかく部品のレベルでは国産と外国製が複雑に混ざりあうという状態です。こうなると昔の概念による輸入車、外国車という呼び方自体が事実上意味を持たなくなります。市場を見ると、一般的に言って今の中年層以下の多くの消費者にとっては外国の会社の製品に対する違和感は全くなくなったと言っていいと思います。

そのような状況を背景にこのイベントを考えてみると、これを単に古い車の祭典と解釈して、シボレー・インパラやダッジ・へミチャージャーだけでなくクラシックメルセデスやMGも一緒に走らせようとするのはむしろ自然なことではないかと思えてきます。今年のドリームクルーズを見て、14年の時の流れの間にクルーズそのものの意義と解釈が世代の交代とともに変わってきたのだという印象を強く持つことになり、ともすると固定概念に囚われている自分を発見して自ら反省を促した次第です。

今年のもうひとつの印象は、これも私個人の直感ですが、なにやら盛り上がりがもうひとつ足りないという点でした。説明はむずかしいのですが、町に出たときに感じた熱気がこれまでほどではないように思えたのです。これはひとつには現在のアメリカ社会の不安定なムードの反映かもしれません。また地元の自動車メーカーが現在の販売スランプのためにクルーズの援助予算枠を縮小した影響もその一部になっているかもしれません。

独断を承知の上であえて言わせていただくなら、このイベントはマンネリに陥りかけているのではないかという気がします。私自身を考えると、始めの数年間は純粋にわくわくする気分を味わいながら楽しんだものですが、正直言ってある時点からはコマーシャリズムの介入が気になり出し、少しずつ熱が冷めはじめているのを意識していました。いくら美味しいものでも食卓に毎回出されては飽きてしまいます。私の見方は必ずしもマジョリティーを代表していないかもしれませんが、もし私以外にも同様に感じた人が少なからず居たとしたら、このイベントはそろそろ見直しの時期に差しかかっていると思います。


(写真をクリックすると別画面に拡大写真が表示されます。)



2008年ドリームクルーズの
オフィシャルロゴ、もとGMの
デザインディレクターに依頼した単純で
楽しいデザイン。
1957年型フォード・フェアレーン
コンバーチブル。この車はミシガンのすぐ隣、
カナダ、オンタリオ州から来た。


1955年型シボレーと2008年型スマート。
シボレーは10年以上新しいC3コルベットから
借りたホイールカバーがムードを壊して残念。
1957年から60年の間に作られた
キャデラック・エルドラド・ブローム。
価格の1万3千ドルは当時平均的な一軒家が買えた値段で、
今で言えばロールスロイス・ファントムというところか。
4年間の累計生産台数は900台プラス。
4ドア・ハードトップのドアは観音開き。
ステンレスのルーフ。当時のハイテク装備満載、
例えばエアサスペンション、メモリー付パワーシートなど。


久しぶりで間近に見た1960年頃の
メルセデス300SLロードスター。
インテリアの質感は今見てもちょっと圧倒される。
いかにも古きドイツを思わせる重厚な豪華さは
今のメルセデスには見られない。
ウッドワードアベニューが旧道と
新道に分かれる分岐点にあるビルに
掛けられたGMの垂れ幕。車は2010年の
発売と発表されている車載発電・蓄電装置を
備えた電気自動車シボレー・ヴォルト。
書かれたメッセージは新旧ウッドワードが
出会う所、と読めるが、本当の意味は近未来の
ウッドワード・ドリームクルーズでこのような
新世代の車が50年前のクラシックカーに混じって
走る時が来る、と言いたいのだろう。

8月17日 VSCDAビンテージグランプリ
VSCDAとはビンテージ・スポーツカー・ドライバーズ・アソシエーションの頭文字です。うかつにも私はこの団体についてこれまで何の知識もなく、あるとき雑誌の広告を見てこの日にミシガンでレースが開催されることを知り、行ってみることにしたのです。

VSCDAは約30年前に結成され、アメリカ中西部をベースに活動する組織です。今年のカレンダーによれば、ミシガン州、イリノイ州、ウィスコンシン州にある合計5つのレース場で5月から9月の間に毎月1回の割りでレースが予定されており、この週末はミシガンにあるグラッタン・レースウェイパーク(Grattan Raceway Park)というレース場で開かれました。

この団体がビンテージスポーツカーをどのように定義しているのか、ウェブで調べても情報がみつからず、レース場に行って2-3の人に聞いてみても満足な答えは得られませんでした。この事自体がクラブのプライベートでカジュアルな雰囲気と運営を表しているように見えますが、レースに参加している車を見ると60年代から70年代のスポーツカーとレーシングスポーツ、フォーミューラカー、それに少数のセダンなどが含まれていました。

グラッタン・レースウェイの名前はかなり前から聞いていたのですが、自分で訪れるのはこの日が初めてでした。ミシガン州のほぼ中央部、デトロイトから北西の方向のグランド・ラピッズ(Grand Rapids)という町の外れにあって、さらに西にあるミシガン湖までは50マイルの距離です。私の自宅から片道150マイルのドライブでした。

ガソリンの値段が一時の1ガロン4ドル超から3ドル台に下がって消費者の気がゆるんだか、または開き直ってこの夏最後の行楽を楽しんでクレジットカードの支払いは後で心配しようというのか、フリーウェイではキャンプに出かける人たちやトレーラーに乗せたオフロードバイクやATVを曳いている人たちが目立ちます。それらの車のうちには明らかに燃費を意識してスピードを押さえた人も一部いますが、かなりのスピード(時速70マイルの制限に対し75から85)で走っている車が多数見かけられました。

ミシガンを横断する96号フリーウェイをグランド・ラピッズの手前で下り、周りに農場が点在する2レーンの道を少し北上すると、途中ロゥェル(Lowell)という村を通ります。車から見る景色は派手ではありませんが、とてもきれいに維持されている村との印象を受けました。きっと農業も行政もうまく行っているのでしょう。

グラッタン・レースウェイはトウモロコシ畑の中の砂利道から曲がったところにありました。着いたのが中途半端な時間だったせいか閑散とした入り口で5ドルの入場料を払い、場内での自身の安全は自分で責任を持ちます、という誓約書にサインをして入場します。駐車はもちろん無料、コース外側でも内側でもどこでもよろしい、とのことでそのまま進むとコース脇に出ました。ちょうど練習走行の最中のためコースを横切ってインフィールドに入る道は閉鎖されていたので、コースを見下ろす小高くなった地点に止めました。

入り口だけでなくこのあたりも観客の姿はちらほら見える程度で、混雑とは全く無縁です。これを見ただけでもレースの運営は100%エントラントからの参加費とボランティアの人手に頼っていることをうかがわせ、純粋に草の根的なVSCDAの活動の特色がわかりました。同じアマチュアのレースでも大きな全国規模と会員数を誇るSCCAとは大きな違いです。

観客のためのレースのプログラムはもちろん、エントリーリストすら用意していないというので、参加車とドライバーの情報を入手しようとの期待が裏切られ、仕方なくただカメラをぶら下げて気楽にレースを見物することにしました。エントリーリストはハードコピーの代わりに電子コピーを配っているのかと思いますが、経費削減もここまで徹底すればたいしたものです。

パドックでロータスのロゴ付の旗を揚げた人たちを見つけ近寄ってみると、ディーゼルピックアップトラックの後ろに大型トレーラーをつないで駐車している男女カップルのチームでした。車は非常にきれいなジム・クラーク時代のチーム・ロータスカラーに塗られたフォーミューラカー2台でHis & Hersの組み合わせです。

2台の外観はとてもよく似ていて、女性に話しかけてやっと分かったのですが、片方のHisはタイプ41フォーミュラ3(または2)にその時代(60年代後半)のロータスツインカムを載せたもの、もう1台のHersはタイプ51フォーミューラフォードとのことでした。彼女にツインカムは1.6リッターですよね、と言ったら、いえ、1558ccですと言い返されてしまいました。

昼どきにピクニックテーブルでホットドッグを食べているとき、同じテーブルにやってきた人と雑談が出来ました。もしかしたら私をレースエントラントグループの一員と誤解したのかもしれません。ケンタッキー州ルイビルから来たグループのメンバーと言い、VSCDAレースに出る資格のある車の条件をたずねるとこの人もうまく説明できませんでした。

午後から始まるレースは3つのグループに分けて行われました。このグループ分けはどうやらコースでの実力(車とドライバーの両方)をもとにしているように見られ、最初のグループは小型のスポーツカーが多く、オースティン・ヒーリー・スプライト・フロッグアイが多数出走、ほかにトライアンフTR3とTR4が数台、後期型のスプライト、それにシリーズ3のロータス7が含まれていました。

次のグループはより多彩な組み合わせで、非常に速い1台のロータス23のほか初期型ポルシェ911、ロータス11、ロータス7シリーズ4、ヒーリー100-6、アルファGTV(又はGTAかスプリントGT)、アルフェッタセダン、ダットサン610、コルベット・スティングレイ、それにトランザム仕様(と見えた)ムスタングなど。先頭とテールエンダーの差が一番大きかったのはこのグループでした。最後はオープンホィールのフォーミューラカーで、大多数がフォーミューラフォード、あとフォーミューラ2または3が数台混じっているようでした。

あとで調べたところでは、これらの車はかなり細かくクラス分けされて、それぞれのクラス毎に順位が発表されているようでした。

添付の写真からその場の雰囲気を感じ取っていただければいいと思います。

(写真をクリックすると別画面に拡大写真が表示されます。)



グラッタンロードコースのレイアウト。
矢印のあたりがスタート・フィニッシュライン。
フロントストレートから第1コーナーの方向を
見る。コース脇の側道でダミーグリッドを組んでから
第2コーナーを過ぎた地点でコースに合流。


60年代後半のロータスタイプ41
(#12、F3/2)とタイプ51(#84、FーF)。
ロータス41と51は外観上ほとんど見分けが
つかないが、良く見ると41(後ろの車)のタイヤ幅が
広い。


第11コーナーを廻るロータス23。 内側前輪をわずかに持ち上げたリアエンジン車
独特の姿勢でハードコーナリング中の911。
懐かしいガルフカラー。


アルファのペア、アルフェッタセダンとGTV。 別名すり鉢と呼ばれる第8コーナーを抜ける
オースティン・ヒーリー・スプライトのスリーサム。


スプライトの一台にブルーフラッグ。 タキシードとトップハットで正装した
スターターステーションのオフィシャルたち。
ゴールするドライバーひとりずつに帽子をとって
敬礼していた。


観客が乗ってきたとてもきれいなトライアンフTR3A。 コース脇に花の咲く夏草の前をレースカーが
通り過ぎる。

では又、次回をお楽しみに。

(鈴木太郎記、2008年9月5日)
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