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Alfa Romeo Alfasud 1971年から89年にかけて作られたアルファ最初のFWD車。
エンジンは水平対抗4気筒1.2−1.7リッター。軽快なハンドリングの良さは
当時各国の自動車専門誌が絶賛した。車名のsud(南)が表すように
南部イタリア、ナポリ近郊の新工場で作られた。スタイリングはジュージアロの
イタルデザインが、車両設計はアルファ・ジュリエッタ、フィアット124、128を
手がけたオーストリア人ルドルフ・ルシュカが担当した。写真の車は後期型でTiの
エンブレムが示すとおり高性能版。
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Austin Maxi アレック・イシゴニスの画期的な設計で1960年に発売されたミニの
基本構成を応用して、1969年から81年の間に作られた中型車で、Miniに対するMaxiと
名付けられた。写真で分かるように、横置きFWDのパッケージングはホイールベースを
極端に長くとってホイールハウスの車室への干渉をなくすことを可能にしている。
ゴムのスプリングと油圧で前後を連結したハイドロラスティック・サスペンション。
エンジンは直列4気筒1.5−1.8リッター。基本コンセプトは良かったが残念なことに
量産設計の煮詰めが不十分だったことと、この頃イギリス自動車産業界に蔓延した
製造品質低下が災いして製品としては失敗に終わった。
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Ford Escort ヨーロッパフォードのエスコートは1968年から2000年まで続いた車名。
写真の車はマーク1と呼ばれて1968年から75年まで作られた第一世代。これは4ドアの
ファミリーセダンだが、2ドアセダンはよりスポーティーな味付けがなされ、
ラリー仕様車はロジャー・クラーク、ハンヌ・ミッコラなどのドライビングで
ヨーロッパ各地のイベントで活躍した。フォードはオーストラリアに工場を持つので
この車は現地生産車と想像される。
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Ford Falcon オリジナルのファルコンはアメリカフォードが1950年代末の不景気と
当時増えつつあった輸入車への対策として売り出したいわゆるコンパクトカーだった。
写真の車はアメリカの設計を基にオーストラリア・フォードが現地生産したもので、
時代は1960年代かと思われる。ファルコンは当時のアメリカ車の標準的な構成である
フロントエンジン・リアドライブであったが、対照的に同じコンパクトカーでもGMが
作ったシボレー・コルベアは空冷水平対抗6気筒を後ろに載せた4輪独立の凝った設計であった。
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Ford Ute Ute(ユート)とはユティリティーを縮めた呼び名だが、乗用車の後部ボディーを
ピックアップトラックの荷台としたオーストラリア独特のボディースタイルを指す。
写真の車は現行ファルコンをベースとしている。なぜオーストラリアで人気を保っているのかは
ちょっとしたミステリーだが、同形式の車はアメリカでも1960から70年代にかけてシボレーが
エル・カミノ、フォードがランチェロと呼んで販売した。今でもロスアンジェルス近辺では
時々走っているのを見かける。
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Honda S800 この車はメルボルン郊外のセント・キルダという海辺の町で何度も見かけた。
いつもトップダウンにして若い女性が乗っていたが、私用というよりも仕事のための移動に
使っているように見えた。ライセンスプレートのMY-800は彼女の個人所有であることを
指しているのだろう。
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Holden Gemini 1973年にドイツで発売された第三世代のオペル・カデットを基本としており、
同じGMの傘下にあったいすずが日本国内用にいすずジェミニとして1974年から生産、それを
オーストラリアに輸入してホールデン・ジェミニと呼んで販売したもの。写真の丸目を持つ車は
オリジナルのデザイン。
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Mazda Capella カペラは1970年の発売から78年までロータリーとピストンエンジンの二つの仕様が
並行して作られ、78年の第三世代以降ピストンエンジンのみとなった。写真の車は初代の
1500ccピストン車と思われる。路上駐車ではなくアパート専用のカーポートの同じ場所に
いつも停められており、埃のつもった様子から見て長い間動いていないようだった。
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Mazda Familia ファミリアシリーズのなかでは第4代目にあたる最後のRWD車で写真は
1979年にマイナーチェンジを受けて角目となった車。ところでオーストラリアと言えば
マツダ・ロードペーサーという車をご記憶だろうか。マツダがボディーシェルを
ホールデンから供給を受けて輸入し、ロータリーエンジンを載せて1975年に売り出したもので、
当事マツダ唯一の普通車だった。ボディーシェルの海外からのOEM供給というのは私の知る限り
あとにも先にもほかに例がない。
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Mazda 121、MX-3 手前の赤い車は1990年代初頭マツダ121の名称でヨーロッパに輸出されたが、
オーストラリアにも入っていたとは知らなかった。日本名はオートザム・レビュー。
向こう側の黒いクーペは同時期に発売されたユーノス・プレッソで、海外ではマツダMX3呼ばれた。
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MGB GT 1962年秋に発売されたロードスターから3年遅れて65年秋にクローズドボディとハッチバックを
持つGTが導入された。ぐんと良くなった対候性とセキュリティー、それに拡大された荷室容量のために
GTを好む顧客もかなり居て、1980年の生産中止までに約50万台作られたMGBのうち4分の1をGTが占めたという。
写真の車は74年以降アメリカの安全基準によって義務付けられた無骨なデザインの衝撃吸収バンパーを装備したいわゆるラバー・バンパー型。衝撃を受ける部分の高さは基準で決められ、MGのエンジニアはサスペンションの調整で車高を上げて適合させるという安易な方法をとったのだが、その結果オリジナルデザインのエレガントなたたずまいはすっかり損なわれてしまった。
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Nissan S-Cargo ご存知1980年代終盤にニッサンが続けざまに発売したマーチベースの限定生産車のうちの一台。
エスカルゴのほかBe-1, パオ、フィガロの三車があった。写真の車は(恐らく)ニッサン営業部が
意図した通り商業用に使われている。
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Renault Fuego フエゴは1980年代前半にルノーが生産したルノー18というごく平凡なノッチバックの
乗用車をベースにしたスタイリッシュな4人乗りクーペである。1980年から85年まで製造され、
アメリカにも輸入された。エンジンは1.4から2.2リッター、縦置き直4のFWD。
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Toyota Corolla (1) 1970年代から77年までに作られた第2世代のカローラ。シドニーでは
初代カローラも見かけたのたが、写真でお見せできずに残念。
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Toyota Corolla (2) これははじめてFWDとなった第5代目、1983−1987年の生産。
姉妹車スプリンターはトヨタとGMの合弁によってカリフォルニアに設立された
New_United_Motor_Manufacturing Inc. (NUMMI)が作る最初の車となり、
シボレー・ノヴァと呼ばれ全米のシボレーディーラーを通じて販売された。
発売当時ロード&トラック誌に載ったロードテスト記事の見出しに
”Chevrolet_Nova,_it’s_roomy,_zoomy,_and_comes_from_NUMMI”
とあって大笑いしたのを思い出す。roomy(余裕ある室内)、zoomy(きびきびした走りっぷり)、
NUMMI(ヌーミと発音)と語尾が韻を踏む三つの言葉をうまく重ねてある。
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