鈴木 太郎のアメリカ便り No-23


The Great Western Road Trip

SCCJの皆さん、お元気ですか。今年もよろしくお願いします。

アメリカは広い、とはNo. 11島田会員が2003年に古いルート66をたどるアメリカ横断ドライブを敢行されたときの感想です(「Route66ドライヴ記」)。
そう言っては失礼ながら、一見誰でも知っている事実を言い表しただけのコメントのように見えます。
しかしアメリカの国土のスケールの大きさはその中を自分で移動し肌で感じた人だけが実感をもって理解できることであり、その観点からこの七文字のコメントは非常に重みのあるものだと言えます。
今回のアメリカ便りは5年前の少々古い話になってしまいますが、私自身のアメリカ周回ドライブ旅行の思い出話をご紹介したいと思います。

この旅行の計画はアメリカ便り第14回「ミシガンのUPに旧友を訪ねる」の旅で私たちが訪問した友人、H氏夫妻から彼らの冬の住まいであるアリゾナのお宅に遊びに来ないかと誘われたのがきっかけでした。
建築家として長年デトロイトで勤めたあとリタイアして彼らの健康に良いアリゾナ州フィニックスの郊外に住まいを構えたH氏夫妻は、その後彼の出身地であるミシガン州北部にも家を建てて夏は避暑のミシガン、冬は避寒のアリゾナという渡り鳥の生活を楽しんでいます。

私のアリゾナとの縁は結構古く、自分が設計したエアコンのテストのために初めて訪れた1969年までさかのぼります。
それ以降も仕事のためフィニックス郊外にある車両試験場を訪れる機会が何度もあり、また家族を連れた休暇旅行で滞在した年もあって、ミシガンでは味わうことの出来ない全く異なった自然環境が忘れ難く身近に感じていました。
ミシガンとどう違うかと言うと、例えば乾いた砂漠と岩山と大きなサボテンという西部劇映画でおなじみの風景。これが人里をはなれると今でも存在し、住宅地域でも大都市中心部以外は自然をなるべく残す努力がなされていてあちこちに別世界的な風景が見ることができます。一方ミシガンは四季がはっきり分かれていて季節ごとに色が変わります。

気候の点でアリゾナが一番印象的なのはもちろん夏の暑さです。日中の気温が摂氏38度(華氏100度)を超えるのは当たり前、摂氏46度(華氏115度)に達することもさほど珍しくありません。
日没後はもちろん下がりますが、それでも35度以上の夜は稀ではありません。

今からおよそ60年前まではまだフィニックスと近郊の人口はそれほど多くなく、高気温・低湿度の砂漠特有の気候が特徴でした。当時の典型的な湿度は5%前後で、そのため夏でもさらっとしていて暑さはそれほど苦にならなかったと聞きました。 この条件を応用して霧状にした水を蒸発させ、蒸発潜熱で空気の温度を下げる簡易式エアコンが十分に実用になりました。 住宅用だけでなく小型で車の窓に取り付けるよう作られたカーエアコンも市販されていたそうです。

その後周辺地域を開拓して果樹園が作られオレンジの栽培が始まってからは、灌漑の水を撒くために湿度が25%近くに上昇しました。 これでも相対湿度の絶対値としてはそれほど高くないのですが、摂氏40度の高温と組み合わされて体感される不快指数が目立って増加する大きな原因となりました。 さらに人口が増えた近年では建物や車両のエアコンが排出する熱と湿気も無視できず、不快指数増加に一役買っています。

最高気温を見る限りフィニックスと同じ、またはもっと暑くなる地域は他にもあるのですが、フィニックスの特長は日照の強さでそのために私が勤めた会社だけでなく多くの自動車メーカーが試験用の施設をフィニックス近辺に置いています。 日照りの強さが自動車用エアコンの性能にとってどのような影響があるかと言うと、強い日照のもとで屋外駐車した車の室内温度が上がり、それを冷やすのにより大きな冷房能力が必要とされるのです。

車の冷房能力を測るひとつの典型的な試験方法は次の通りです。まず朝の太陽が高くなりはじめる10時頃に車を南の方向に向けて駐車します。 窓は閉じたままです。この状態で2-3時間放置し、室内にぶら下げた温度計が華氏150度(摂氏65度)を指すのを待ってテスト担当のエンジニアとドライバーが素早く車に乗り込みます。素早くドアを閉めないとせっかく貯めた車内の熱を逃してしまうからです。 乗ったらまず初期データの計測をします。これはエアコンを作動させる前に車室内とエアコンシステム各所に設置した熱電対と呼ばれる温度計測用センサーの読みを記録する作業ですが、私が実務に関わっていた頃のやり方は手動でスイッチを切り替え、センサーひとつずつの読みを手書きで記録するものでした。 計測箇所は普通30ほどあって数分かかる作業ですが、この間にすでに汗だくになります。

そのあとようやくエンジンをかけてエアコンを全開にし、決められた低速を保って周回テストコースをのろのろと走るのですが、ステアリングホイールが熱されて素手ではさわれないのでドライバーには手袋が必需品です。 このようにして数分ごとに30個のデータを用紙に書き込みながら室内温度が一定に落ち着くまでテストを続けるというわけです。 現在ではデータの読み取り・記録がコンピューター化されているのでテストエンジニアの負担ははるかに少なくなりました。

現地に定住して毎年このような夏をすごせば印象は大きく変わるでしょうが、私の体験は長くても2週間程度の出張に限られていたので暑さがつらかったという印象はほとんどなく、楽しい思い出ばかりが残っています。 最も過酷な日照条件は太陽が一番高い正午前後の時間帯に限られるので、特別の事情がない限り取得したデータを整理し翌日の試験のために車の準備をすると午後4時ごろには一日の仕事が終わりといった気楽なスケジュールも好ましい印象を強くしていました。 実は私がビールの味を覚えたのはこの時のアリゾナ滞在中で、仕事のあと暑い屋外の日差しを逃れて入る涼しいバーで飲むCoors Beerが美味しくないわけはありません。

私が車両用エアコンの開発に携わった1960-70年代は一般に輸入車のエアコンの性能は非常に低く、またオプションのリストに載っていない車すらあり、その場合はアフターマーケット用として作られたものをディーラーで装着するということが行われていました。 当時私は何度か輸入車をテストする機会がありましたが、消費馬力が大きいためコンプレッサーのクラッチが入った途端に車速がガクンと落ちる車や、市内走行の試験ではエアコンとして機能せず車内温度がかえって上昇してしまう車もあって、途中でやむなくテストを中止し窓を下ろして一息つきながらガレージに戻ったということもありました。 ウソのように聞こえるかもしれませんが、このときばかりは摂氏40度の外気が心地よく感じられたものです。

輸入車のエアコンの性能不足は、メーカーの技術力が足りなかったと言うより、むしろ当時アメリカ以外の国では顧客のエアコンへの要望と期待度が高くなかったという背景が主な理由ではないかと私は考えています。 各国のメーカーたちが輸出先に設計者を派遣して現地での車の使用条件を勉強することが常識になる前の話です。 メーカー側もエアコンをまだ重要な車両サブシステムと考えておらず、あくまでも後付けの装備と見ていたのだろうと思います。 この点アメリカではエアコンの他にもオートマチックトランスミッション、パワーウィンドウ、リモートキーレスエントリーなど多くの例に見られるように早くからユーザーがより快適で手間や労力を省いて容易に車を使えるようにとの方針が確立されていたのだと思います。 そのようにして20世紀の進歩を遂げてきたわけですが、多くの場合快適さ・便利さはエネルギーの消費という代価を払って得られるものです。 エネルギーの無駄遣いを極力抑えつつ、いかに人々の要望を満たし期待に応えるかという我々に与えられた永遠の課題はこれからますますその重要度が増すに違いありません。

さて、大きく脱線してしまった話を本題に戻して、私が西部自動車大旅行−Great Western Road Tripと名づけた旅はミシガン東南部の自宅を出発してミズーリ州セントルイス、オクラホマ州オクラホマシティー、ニューメキシコ州アルバカーキでそれぞれ一泊する南ルートをとってアリゾナ州フィニックスの郊外、スコッツデールのH氏邸に到達。 アリゾナに3日滞在の後、帰路はスコッツデールから北ルートでニューメキシコ州サンタフェ、コロラド州スターリング、アイオワ州デモインで泊まって帰宅という全行程11日の計画でした。添付の地図をご覧下さい。往路に南ルートをとったのは3月という時期だったので降雪の可能性を心配したためなのですが、全行程中雪を見たのは皮肉にも帰路アリゾナの高地を通った時とコロラド州でロッキー山脈に沿って北上するフリーウェイ脇で、ありがたいことにいずれの場合も路面は除雪されておりドライブには何の支障もありませんでした。


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往路第一日:ミシガン州バーミングハムからミズーリ州セントルイスまで
車載の外気温度計が摂氏5度を指すうすら寒い中を出発。まずミシガン南部を東西に横断する94号フリーウェイに乗り、途中で69号に乗り換えて南下する。 オハイオ州に入ったとたんに気温が13度まで急上昇する。しばらくたつうちまた5-7度台に下がる。 春先の寒気と暖気がぶつかる天候が不安定な地域を通過したらしい。インディアナポリスからは70号フリーウェイで宿泊地セントルイス郊外に到着。 今日の走行距離は970キロであった。

往路第二日:ミズーリ州セントルイスからオクラホマ州オクラホマシティーまで
70号フリーウェイでオクラホマを目指す。はじめの200マイルほどは2003年にルート66ドライブ中の島田さんのグループに同行したときのコースに沿って走る。 あのときは田舎の一般道のドライブを楽しんだが、今日は先を急ぐのでフリーウェイを行く。 それでも山間部ではカーブが連続する区間があって案外と退屈しない。 もっと時間に余裕が出来たらフリーウェイなしでアメリカの長距離ドライブを楽しみたいと思った。 オクラホマ州に入るとガソリンの安い価格が目を惹く。他所での1ガロン当り$2.20前後に比べて$2.00以下と10パーセントほど安い。 オクラホマシティーに近くなると道路が有料となる。しかも有料のくせに路面の状態は悪いのは何故だろう、とは言っても料金はたったの$3.50。反面制限時速は75マイルと高い。 今日は一日晴天で目的地オクラホマシティーに入る頃には気温が23度に上昇した。この日の走行距離は803キロ。

往路第三日:オクラホマ州オクラホマシティーからニューメキシコ州アルバカーキまで
朝モテルの駐車場を見ると、私たちのコルベットがピックアップトラックやSUVたちに囲まれていた。 この地ではSUVを含むいわゆるトラックが本来の目的に使われているのだ。私たちの車のほかにはスポーツ・GTカーは全く見当たらない。 今日は旧ルート66に沿って造られた40号線を行く。車窓の景色がいかにも西部に入ったことを実感させる。 特にオクラホマ州の西部は大平原が続き、見回すと周り360度が地平線に囲まれた景色は感激ものである。 テキサス州に入ると路面がぐんと良くなったのに気づく。Route66の歌に歌われたアマリロで昼食。 今日は天候が変わりやすく、晴れ、曇り、雨がかわるがわる現れる。このルートで通るテキサス州北部はPanhandle(鍋の柄)と呼ばれ東西の幅が短いのですぐに通過してしまう。 ニューメキシコ州に入るあたりでは向かい風が大変に強かった。今日の目的地アルバカーキで予約していたホテルは行ってみると廃業して閉鎖されていた。 幸い道路反対側にあるホテルに部屋を取ることが出来たのだが、たまたまニューメキシコを訪問中のブッシュ大統領の一行がこのホテルに滞在するとかで、至るところに警備を配した警戒の下の奇妙な一夜となった。 この日の走行距離は868キロ、向かい風の時が多かったためか平均燃費は少し落ちた。

往路第四日:ニューメキシコ州アルバカーキからアリゾナ州スコッツデールまで
引き続き西に向かって40号フリーウェイを突き進む。ニューメキシコからアリゾナにかけてのあたりは鉄道と並行していて、列車がかなり頻繁に通過する。 通るのは貨物列車ばかりで、アメリカの物資の長距離輸送は大型トラックとならんで鉄道への依存度が高い事実をこの目で見ることができた。 アリゾナが近づくと独特の岩山が現れ、映画の背景を連想させる。 途中の道路標識に書かれたTwo Guns、Twin Arrow、Dead Creekなどの地名がさらに西部劇のムードを引き立てる。 アリゾナ州は制限時速が75マイルである。Route66の歌に登場するフラッグスタッフで17号フリーウェイに乗り換えて南下する。 フラッグスタッフは海抜2100メーターの標高にあって、程遠くない山にはスキー場もある。我々が通過したときも道路わきに残雪が見えた。高原から駆け下って海抜340メートルのフィニックスに近づくと交通量に加えて建物と広告の看板がどんどん増え、瞬く間に西部劇の舞台から典型的な現代の大都市周辺の雰囲気に引き戻される。 地図をたよりにフィニックスの北東に位置するスコッツデールのH氏宅に予定通り夕方到着。 今日の走行距離は758キロ、平均燃費はリッター当り13.0キロと30マイル/ガロンの大台を越えた。
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フィニックスとその周辺の地域は周りを山に囲まれた盆地にある、と言うと例えば甲府盆地のように山が迫った風景を想像されるかもしれませんが、同じ盆でもこちらは大変に大きな盆、差し渡し80キロもあろうかというサイズです。 地元ではこの一帯をValley of the Sunと呼んでいますが、この表現ではValleyを谷というより盆地と解釈すべきでしょう。

3日間のスコッツデール滞在中は近所を散策したり、あるプロジェクトについてH氏と打ち合わせをするなどして過ごしました。 スコッツデールの町は今では綺麗な住宅街が続き、主要道路の交差点には画一的な外観のショッピングセンターが作られているのですが、私が1960年代末に仕事で初めて訪れたときは町の中心に数軒のホテルのほか映画館がひとつ、その周辺にいくつかの店舗とレストランがある田舎町でした。 一旦町の中心を外れると住宅がまばらにあるほかはオレンジの果樹園といった環境だったので、ここ数十年の間の変わり様は極端にはげしいと言えます。急速な人口の増加に電気・ガスの供給や上下水道、ごみの処理などのインフラストラクチャーがよく追従し正常に機能しているものだと感心するばかりです。

滞在中の一日、フィニックス北方にある赤い岩山の景観で知られたセドナの町に私の昔の上司S氏を訪ねました。 アルゼンチン生まれのS氏は非常に優れた自動車エンジニアであり、この人の下で働いた3年間に私の自動車に関する哲学的な考え方の基礎形成に多大な影響を与えてくれた忘れられない人のひとりです。 リタイアしてから25年近くなるはずで、好きで何度も訪れていたセドナに自ら設計した家を建てて移り住み、10年ほど前に奥様を亡くされてからは一人住まいを続けています。 自動車エンジニアが本業であると同時に趣味でもあるS氏の書斎は自分で設計しただけあって膨大な量の書籍のほかいろいろな車のスケールモデルコレクションを収めるのに十分なスペースが設けられており、しばらく振りの再会でしたが話はすぐに興味のある車に移ります。 彼がシトロエン車の設計理念に同感しているのは知っていたのですが、話の途中でトラクシォン・アバン(11CV)のモデルを探していると聞いたので私が見つけたら送る約束をし、その後日本に帰国した時渋谷の専門店で入手し彼に送って喜ばれました。
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復路第一日:アリゾナ州スコッツデールからニューメキシコ州サンタフェまで
出発前にH氏夫人からフラッグスタッフを通らずに40号フリーウェイに出る道を通ってはと薦められた。山を越える一般道だが景色は良く距離も近く時間的にもそれほどの遠回りではないということなので迷わずそのとおりにすることに決めた。 山の中では最近降ったと思われる雪が道の脇にかなり積もっており、アリゾナの別の景観が楽しめた。 気温も低く一番寒いところでは摂氏2度だった。山を下りてから旧ルート66沿いの宿場町ホルブルックで手早く昼食をとってから40号フリーウェイに乗り、今日の宿泊地ニューメキシコ州サンタフェに向かう。 サンタフェは17世紀まだスペインの植民地であった頃からの古い建物がいくつも残っていて、画家のジョージア・オキーフが人生の後半を過ごした土地でもある。今もいろいろな芸術活動が盛んな町で、妻はゆっくり時間を過ごしたがったのだが先を急がなくてはならないので次の機会とする(註:再訪はこの2年後に実現した)。 予約してあった町外れのモテルはファーストフードレストランに囲まれた味気ない環境にあって、近くにまともなレストランすら見つからず今回の旅行中一番不満が残る宿泊となってしまった。 今日は754キロ走った。

復路第二日:ニューメキシコ州サンタフェからコロラド州スターリングまで
25号フリーウェイでデンバーを目指す。このフリーウェイはサンタフェから一旦東の方向に進路をとり、ロッキー山脈の東側に出てから山に沿って北上する。 途中交通量は少なく見通しも良いので思い切ってスロットルを開いた。スピードメーターが簡単に三桁の数字を指すのを確認してから足の力を抜き、75マイル/時の平穏なクルージングにもどる。 デンバーで76号線に乗り換えて北東の方向に走る。今日の宿泊地コロラド州スターリングはデンバーから120マイルほどの距離で、ここを選んだのは40年前に私が設計したエアコンコンプレッサーを装着したテスト車をデトロイトからフィニックスまでドライブしたとき、壊れたコンプレッサーをモテルの駐車場で皆で分解修理した町という感傷的な理由からだった。 あのときは町外れにモテルがただ一軒ある本当の田舎町だったが、ひっそりとした印象は今でもあまり変わっていなかった。 この日の走行距離は856キロ、平均燃費率はこの旅行中最高の13.6キロ/リッターであった。

復路第三日:コロラド州スターリングからアイオワ州デモインまで
今日は76号フリーウェイから80号に合流して東に向かい、ネブラスカ州を横断して隣のアイオワ州デモインまでアメリカ中西部のど真ん中を行く。 コロラド州とネブラスカ州はフリーウェイの制限時速が75マイルなので気楽に80マイル前後のスピードが維持できる。 すべての物体が固有振動数を持つようにすべての自動車は一番適した気持ちの良い巡航スピードがあるもので、たとえばある車は時速60マイル程度でも音や振動その他のノイズレベルが高まったり、ステアリングがなにやら落ち着かずその速度を長時間維持するのが苦痛になるが、別の車は90マイルを越えても物理的にも心理的にも何のストレスもかからず、安心して一日中どこまでも走って行きたい気持ちになる。 私のコルベットはコロラド・ネブラスカ横断ドライブで全く自然に労することなく平均速度126キロを記録した。 隣のアイオワ州は制限が65マイルなので、この日全体の走行距離886キロの平均時速は119キロに落ちた。

復路第四日:アイオワ州デモインからミシガン州バーミングハムまで
デモインはアイオワの州都で州最大の都市である。 私たちが泊まったモテルは市内にあるドレイク大学のキャンパスに隣接しており、ごく平凡だがなかなか快適なモテルだった。 すぐそばの歩いて行ける場所にあった昔風のいわゆるDinerと呼ばれる大衆食堂で夕食をとったが、ここのフレンドリーなサービスも良かった。 すっかり気に入った私たちは翌朝出発前に再度立ち寄って昼食の弁当としてサンドウィッチをこしらえてもらった。 旅行最終日の今日は80号線でシカゴまで行き、94号線に乗ってミシガン南部を横断して帰宅するルート。 合計9時間半のドライブは何事もなく、この旅行中一番長い998キロを走って夕方無事に帰宅した。
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この旅行のデータをまとめると、往復の合計走行距離が6,894キロ、アリゾナ滞在中のサイドトリップを含んだ全部の走行距離は7,300キロちょうど。 全行程の平均速度は111キロ/時、平均燃費はリッター当り12.5キロでした。

移動中は途中で停まって見物をすることもなく朝から夕方までただただ走り続ける我が家流のスタイルで、終わりの方は妻もさすがに辟易したようですが、このような走行パターンを保ってそれでも片道丸4日をかけなければ目的地にたどり着かないという旅は人の脚や馬に頼った時代ならいざ知らず、今の時代では珍しい経験であると共に少しばかり冒険の要素も含んだささやかな贅沢だと思いました。 また、アメリカ全体の地図を見てお分かりのように今回のコースは起点終点ともに海から離れており(東に1000キロ、西に600キロ)、張り切って遠くまで飛んだつもりが実はお釈迦様の手のひらから出ていなかった孫悟空の話を思い起こさせた旅でもありました。 そこで島田さんに倣って私も「アメリカは広い」という結論をもってこの小文の終わりとします。

それではまた。



  コルベットのトランクいっぱいに
収まった11日間の旅の手荷物。



オクラホマシティーのモテル駐車場風景。
ニューメキシコ州アルバカーキの
西約100マイル地点で給油。
この辺りではフリーウェイと
並行してルート66が残っている。




Valley_of_the_Sun。
近くの山から見下ろした40年前の
スコッツデールの町。(1969年撮影)

フィニックス盆地の典型的なイメージ。
岩山を背景にサボテンと砂。
(1969年撮影)



アメリカ南西部の雰囲気
あふれるH氏邸の庭。
帰路アリゾナ北部山中の
ガソリンスタンド兼土産物屋で給油。


帰路コロラド南部のパーキングエリアで一休み。
遠くに雪をいただいたロッキー山脈。


(鈴木太郎記、2010年1月15日)

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編集者から

長い間アメリカから様々なトピックスをお送り頂いた鈴木太郎会員が2010/07/21に
残念ながら病気の為、天国に旅立たれました。
今までのお便り有難うございます。
ご冥福をお祈りします。