SCCJ 日本スポーツカークラブ

History

SCCJの歩み

日本スポーツカークラブについて

About SCCJ

クラブ概要

当クラブは、車好きが気軽に集まり、親睦を深めることを目的とした伝統あるスポーツカークラブです。

創立以来、モータースポーツやヒストリックカーイベント、食事会など、多彩なイベントを通じてメンバー同士の交流を深めています。

モータースポーツイベントでは、初心者からベテランまで安心して楽しめる様にクラス分けを行い開催しています。

ヒストリックカーイベントでは、クラシックカー愛好者が集い、その魅力を共有します。

さらに、定期的に行われる食事会では、美味しい食事を囲みながら車談義に花を咲かせることができます。

車に対する情熱を共有し、新しい友人と出会える場所を提供することを大切にしています。

車の知識が豊富なメンバーも多く、初心者でも安心して参加できます。

SCCJの歴史

History of SCCJ

戦後間もない設立から、紆余曲折を経ながらも現在までクラブが続いてきた歴史について、詳しくご紹介しております。

 第2次世界大戦が終結して間もない占領下の1951年3月、英国人主宰のMGCCを母体として駐日米軍将校が主体となり、“Sports Car Club of Japan”が設立されました。誕生したSCCJは同年4月には戦後初のスピードレースを船橋オートレース場で開催し、9月には日本においては空前絶後の東京-京都間のロードレースを開催(優勝は8時間43分のS/C付きMG-TD)。11月には我国初のラリー(東京―日光)を行い、12月には茂原飛行場においてスポーツカーによる3時間耐久レースを催すなど、精力的にモータースポーツ活動を展開し、同時にジムカーナのような自動車競技も日本に紹介しました。鳥居にワイヤースポークホイールを組み合わせた意匠をクラブ・エンブレムとしていたSCCJは、講和条約の締結によって主力メンバーが順次帰国して活動が低下。1953年夏のラリー・イベントを最後に自然消滅状態となって短い歴史に一旦幕が降ろされました。


 やがて旧SCCJの数少ない日本人正会員4名が発起人となり、同好の士を募って1955年12月14日、26名の参加によって初めて日本人が主体となる“日本スポーツカークラブ”略称SCCJの再建総会が開かれました。新生SCCJの事実上の誕生日はこの日といってよいでしょう。初代会長には旧SCCJの正会員であった片山豊氏が選出され、クラブ・エンブレムも松林清風会員のデザインによるチェッカーフラッグと日本国旗をワイヤーホイール上に配する意匠に一新されました。新生SCCJにも依然外国人会員が多数参加しましたが、旧SCCJの流れをくむ米軍将校達はやはり1955年12月、独自に東京スポーツカークラブ(TSCC)を設立しました。


 以来、源流を同じくするSCCJとTSCCは、10年以上もの間兄弟クラブのようにして交流し合い国際親善にも寄与しました。例月のイベント通知は英文と和文の同居が慣例であったものです。


 1956年には伊豆長岡で伝説的な日本初のヒルクライムが催され、翌年にはやはり初のタイムトライアルが調布飛行場で行われるようになり、勇壮なスポーツイベントがSCCJの名物行事として世間に知られるようになりました。シルバープラックが正賞として制定されたのもこの頃です。1958年になると会員数は100名を越えるまでになり、ついに例をみない固有のスポーティングコードを制定しました。遊びから脱却した規律あるモータースポーツを行うようになりました。


 この年、銅製の大径カーバッジが小型化され、七宝製に改められました。1962年に我国初の国際規格サーキットが鈴鹿に出現するや、実績のあるSCCJの存在がにわかに注目され、1963年の記念すべき第1回日本GPには多数の会員が規則の立案や運営面に協力したばかりかドライバーも多数投入しました。その一方で同年、東アフリカン・サファリラリーにSCCJ選抜チームが日本初参加もはたしました。


 1964年にJAFが設立されるや、SCCJは公認クラブとして登録。以降その資格の責務として一般のJAF競技ライセンス保持者を対象とした公認競技を定期的に開催するようになりました。そして1975年には筑波サーキットを舞台にしたヒストリックカー・フェスティバルなる、外国製ヒストリックカーを主とした公認レースを開催するようになりました。回を重ねるに従って参加者が増大。レース規模も拡大されていくことになりました。


 しかしその一方で、多数の会員がこうした公認レースの運営奉仕に翻弄されるようになり、本来のクラブ行事企画機能が低下したこともあって会員相互の親睦に影響を与える懸念まで生まれてきました。この結果、SCCJは1997年末をもってJAF公認クラブの資格を返上することを決定。1998年から公認クラブの責務から解放されたことによってSCCJは創立時の初心に復帰することになりました。以来今日に至るまで、会員による会員のためのクラブ運営に専念し格調高いソシアルクラブを目指しています。