鈴木 太郎のアメリカ便り No-10


シボレー・コルベット、最初の50年 − その1

SCCJの皆さん、お元気ですか。ようやくトップダウンドライビングの季節となりました。

ユニークなアメリカ車、シボレー・コルベットは今年めでたく生産開始から50周年を迎えます。アメリカではもちろん、世界的に見てもフェラーリ、ポルシェ、TVR、及びその他の小規模専門メーカーの製品を別にすると、2シータースポーツという形態を保ってこれだけ長く存続したのは特筆すべきことだと思います。

はじめから細かい話になりますが、本文ではシボレー、コルベット、ゼネラルモーターズなどの名前に伝統的な片仮名綴りを使っています。実際の発音に近い書き方をすればシヴォレー、コーヴェット、ジェネラルモータースとなるでしょうがこれでも原語の発音からは程遠く、日本語の文字でこれ以上正確に表すのは無理です。ただ、コルベットは「ベ」にアクセントをつけてお読みになるようお願いします。ときどき耳にする「コ」にアクセントの読み方は間違いです。

最初のコルベットは1953年に誕生しました。その当時、ゼネラルモーターズ(GM)はMotoramaと呼ぶ独自のモーターショウを毎年開いていました。出品される車はいわゆるドリームカー、今の言葉で言えばコンセプトカーで、近未来の製品の方向を大衆にアピールすることを目的として各地の大都市をまわるというやり方をとっていました。コルベットはまずドリームカーとして1953年1月ニューヨークのモトラマに出品され、来場者の反応を確認してから同年9月に発売されました。現代の標準に比べて極端な短時間でコンセプトから生産に移行したことになります。まだ安全基準など存在しなかったので新車の開発が比較的単純だったこともあり、またはじめは事実上の手作りだったので量産設備の準備も要らなかったのですが、その点を考慮しても驚異的と言うべきでしょう。


コルベットが生まれた時代の背景としてひとつ注目すべきは、経済的・社会的・技術的などいろいろな面でアメリカが第二次大戦の影響から抜け出して大きな発展が始まろうとしている時であったという事実です。終戦直後のメーカーは日常の足としての実用車の市場の需要を満たすのに精一杯だったわけですが、これが少し落ち着きはじめるともっと楽しい車にも注目が移り始めました。ヨーロッパでの戦争に派遣された兵士達が主にイギリス製のスポーツカーを発見して持ち帰り、2シータースポーツへの関心が高まり始めたのもこの頃で、特にGMのデザイナー達はジャガーXK120に刺激されたようです。XKシリーズやその後現れたメルセデス300SLなどはコルベットのベンチマークの対象となり、最高時速130マイル(XK120スペシャルバージョン)や150マイル(300SL)はコルベット性能向上の目標となりました。

この50年間のコルベットのボディースタイルは、基本的に5つの世代に分けることが出来ます。すなわちモデルイヤーで言えば53年〜62年、63年〜67年、68年〜82年、84年〜96年、97年〜現在の5つの世代となります。このうち83年が抜けているのにお気づきになったでしょうか。日本と違ってアメリカでは程度の差はあっても毎年モデルチェンジを行うのが慣習になっているので、普通9月から10月に翌年のモデルが発売になります。時には例外として春に翌年のモデルとして新型の導入をすることがあり、第4世代のコルベットは83年3月に84年型として出たのでモデルイヤーとしては1年スキップしてしまったというわけです。

第1世代 ‐ 1953年から1962年まで
1953年に売り出された最初のコルベットは純粋なスポーツカーと呼ぶにはいささか物足りない車で、新素材のファイバーグラスで作られたボディーは非常にスタイリッシュでしたが、エンジンは古く重く非力な6気筒、トランスミッションは2速オートマチックだったので性能は取るに足らないものでした。発売当時中学生だった私はポピュラー・サイエンス誌(日本語版)に載ったロードテスト記事ではじめて知ったのですが、たしかこの記事でも性能は特筆に価しないという結論で終わっていたように思います。しかしクラシカルなプロポーションを持つボディは細部のデザインが非常に斬新で、両端が回りこんだラップアラウンド・ウインドシールド、ファイバーグラスの成型性をうまく利用したテールランプ周りの造形など新鮮な特徴を持っていました。私の目には金属メッシュのストーンガードがついたヘッドライトが珍しく映ったのですが、それにもましてその頃の私にとって2人しか乗れない格好の好い車(スポーティーという言葉はまだ知らなかった)という概念はまったく新しいもので、ショックとも言える強い印象を受けたことが懐かしく思い出されます。

はじめ6気筒エンジンのみで売り出されたのは、その当時シボレー・ディビジョンが8気筒を持たなかったという事情のためで、GM各ディビジョンの間でコンポーネントを共有するという合理的なやり方を採用するよりずっと前の話です。排気量は235立方インチ(3.9リッター、1リッター=61立方インチ)で150馬力、2スピードのPowerglideと呼ばれるトルコン付きトランスミッションは手動でシフトするようになっていました。

ボディーは前述のように当時最先端のハイテク素材ファイバーグラスのものをセパレートフレームに載せていました。この基本的構造は現在に至るまでコルベットの伝統的な特徴として受け継がれています。フレームはX字型のクロスメンバーを持っていたため床を下げることが出来ず、今乗ってみると床がシートに対してやけに高く文字通り脚を投げ出すドライビングポジションから奇妙な感じを受けます。プレキシグラスでのサイドウインドウはオリジナルのロータスエリートと同じ脱着式、つまり全閉か全開のどちらかというものです。色は最初の年は白のボディー、黒のキャンバストップ、赤いインテリアの組み合わせに限られるという簡素なものでした。オプションも簡素でヒーター、AMラジオ、ターンシグナル(!)のみ、ただ実際には全車がフルオプションで生産されました。ベースプライスは3,500ドルで、当時普通のシボレーが2,000ドル以下で買えたはずですからかなり高価だったことが分かります。しかし翌年にはベースプライスが2,800ドルまで下げられ、同時にボディーの色も数種類から選べるようになりました。




GMは1954年のモトラマにもコルベットのバリエーションを2台出品しています。ひとつは後のトライアンフGT6に似たファストバッククーペで、そのCorvairという名前は50年代終わりに発売された空冷リアエンジンのコンパクトシボレーに受け継がれました。もう1台はNomadと呼ばれた言わばシューティングブレークに相当する2ドアのスポーティーなワゴンで、ドアの後ろのピラー(Bピラー)が前に向かって傾いたスタイル上の特徴はそのまま1955年に同じ名前のフルサイズシボレー2ドアワゴンに採用され、いまコレクターの間で人気のあるクラシックカーとなっています。

V8エンジンは1955年になってようやく導入されました。シボレー・スモールブロックと呼ばれるこの新設計のエンジンは排気量が265立方インチ(4.3リッター)、それまで使われた6気筒エンジンより20キロ近く軽いモダーンな設計でした。このエンジンはその後283,327,350と排気量が順次拡大され、並行してコンスタントに各種の改良がほどこされながら進化を続けた伝説的なエンジンです。

新しいV8の導入で出力は195馬力に上がり、これも新しく導入された3速マニュアルトランスミッションと組み合わせて最高速は120マイルに到達、また0-60マイル加速は3秒短縮され8秒となって性能向上の進化がはじまりました。同時に平均燃費は1ガロン当たり17マイルから20マイルに向上し、当時のアメリカ技術全般の進歩とならんで急速に近代化され始めたことが分かります。




1956年3月にはセブリング12時間スポーツカーレースに4台のコルベットがエントリーされ、1台が総合9位、クラスBのウィナーでフィニッシュ。当時のFIAの規則によるとレース仕様の部品はすべてオプションとして市販されなければならないとなっており、283立方インチ283馬力のエンジンはGM初の1立方インチあたり1馬力を発生する市販エンジンとなりました。この年には初めてスタイリングにマイナーチェンジを施し、ヘッドランプとテールランプが新しくなったほか、ボディーサイドに入った刳り込みは以後62年まで続くスタイリングの特徴となります。




その後57年に4速マニュアルの導入、58年にデュアルヘッドランプ、62年には327立方インチエンジンなどの変更を受けつつ1960年にはじめて生産台数が1万を越えました。初年の53年に比べると3倍近くですから順調な成長を遂げたと言えるでしょう。




1960年にはアメリカの富豪Briggs Cunninghamが3台をルマン24時間レースにエントリーし、その1台は終盤オーバーヒートになやまされ、1周ごとにピットインしてドライアイスをエンジンのまわりに詰めながらの走行にもかかわらず平均時速97.9マイル総合8位、クラス1位でフィニッシュという好成績を記録しました。

私自身はこの世代のコルベットにはなじみが薄く、アメリカに来てすぐ会社の同僚が中古で買ったばかりの62年型ハードトップ付の車を一度だけ運転させてもらったのが唯一の経験です。たしか327エンジンに4速マニュアルでしたがエンジンの調子が悪くてスムーズな発進が難しく、てこずった事だけが記憶に残っています。




第2世代 - 1963年から1967年まで
1963年型として発表されたコルベットはボディーもシャシーも完全に新設計の車でした。この車はスティングレイと呼ばれ、この呼び名は次の第3世代の終わり1982年まで20年続くことになります。それまでのクラシカルなデザインとは打って変わった未来的なボディーはクーペとコンバーチブルの2つのスタイルがあり、特にクーペは屋根の線がリアエンドまでなだらかに下降するファーストバックと呼ばれた基本形を持ち、リアウインドウを貫いて屋根からリアエンドまで通る峰が特長でSplit Windowと称して珍重されています。伝説によればスプリットウインドウの採用はエンジニアリング側の反対をスタイリング側が強引に押し切った結果とされていますが、翌64年には一転してエンジニアリングが主張した一体型のリアウインドウとなったので、その結果スプリットウインドウクーペはほとんど幻の車に近い地位を得ることとなりました。

新設計のフレームはペリメター型になって床とシートの位置を大幅に下げることが可能となり、これも新しい独立式のリアサスペンションなどと相俟ってハンドリングの向上に大きく貢献しました。動力性能の向上もさらにエスカレートし、ZO6のコードで有名になったオプションは360馬力の327エンジン、4速クロースレシオトランスミッション、リミテッドスリップデフレンシャル、アルミ製ノックオフホイール、ラジオとヒーターの除去などからなるもので4,300ドルの基本価格の上に1,800ドルのエキストラで買うことができました。基本価格が旧型から大きく上がったにもかかわらず新型の生産は21,500台と、すべてが飛躍的に上昇という歴史に残る年となりました。




65年には4輪ディスクブレーキが採用され、396立方インチ(6.5リッター)最大425馬力のいわゆるビッグブロックエンジンがオプションに加わり、66年には馬力競争の追い風を受けてとうとう427立方インチ(7リッター)エンジンが登場、67年にはそのハイコンプレッション版、公称430馬力のエンジンがオプションリストに載りました。このエンジンはオプションコードL-88としてよく知られており、保険会社に遠慮して馬力は控えめに発表したものの実際には560馬力を出す実力があったと言われています。




この世代最後の1967年ルマンに出走した1台のL-88クーペはミュルサンヌの直線で最速のフェラーリを22マイル上回る時速171.5マイルのスピードを記録しています。

その頃7リッターのフォードエンジンを載せたACコブラがGTクラスレースで好成績をおさめており、それに対抗すべくスティングレイの開発と同時にGrand Sportと呼ぶレース用の車が計画され、軽量とするためアルミの特製フレームにオリジナルのクーペを大幅に改造してファイバーグラスの肉厚を減らしたボディーを乗せた車が作られました。この改造のため標準の生産車に比べ450キロの重量軽減を達成できたと言われており、特製アルミブロック377立方インチ(6.2リッター)485馬力のエンジンと組み合わせて十分な競争力が期待されました。当初の計画ではFIAの規則に合わせて125台を作りGTグループ3カテゴリーからルマンなどで走らせ、その後公道用に登録可能な1000台を生産・市販するはずになっていました。しかし残念なことにメーカーとしてのレース活動を自粛するというアメリカ自動車工業会の申し合わせを理由に会社の方針で急遽計画がキャンセルされ、何回かレースに出場した5台の試作車は非常に希少な存在となりました。これ以後、GMとして公式なロードレースへの参加はつい最近のキャデラックLMプロトタイプと、GTSクラスのコルベットC5-Rの登場まで長い中断をみることとなります。

ところで、ともすると高性能車としてのコルベットが語られることが多くなりがちですが、この車を日常のアシ(daily driverという表現があります)として使う人も少なくなく、標準エンジンとオートマチックの組み合わせで注文する人がかなり居るのは昔も今も同じです。60年代なかばで言えば全体の約10%がオートマチック付で売られたというデータがあり、今と比べればはるかに低い普及率ですが、その当時はフルサイズのシボレーですら3速マニュアル付(もちろんコラムシフト)が結構見かけられた時代という背景を考えに入れると、コルベットのもうひとつの姿が見えると思います。




私は残念ながらスティングレイの経験もごく僅かで、アメリカに来てしばらくしたころ会社が試験用に使った64年型パワーグライド付きのクーペが売りに出され、試乗するところまでいったのですが当時の私には結構な値段だったこともあって決心がつかず、結局そのままになってしまいました。現代の視点から改めて見ると独創性のあるスタイリングと手ごろなサイズ、単純な機構などがなかなか好ましく見え、我家の近くにあるきれいなコンディションの真っ赤な65年型クーペはそばを通るたびについ目が行ってしまいます。

第3世代以降は次回お話します。それまでお元気で。

(この項終わり)

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