鈴木 太郎のアメリカ便り No-22


最悪の車

SCCJの皆さん、その後お元気でしょうか。
ようやく3月に入って、ここミシガンではまだ寒い日はあるものの日差しは季節の変化を実感させ、天気の好い日にはスポーツカーを路上で見かけるようになりました。

先日、記憶の糸をたどって過去45年の間に私が購入した車を書き出して見たところ、全部で29台となりました。単純に平均するとほぼ1年半に1台ずつ買ってきたことになるわけですが、そのうち一番短い所有期間は6ヶ月弱でした。他方一番長かったのは8年半でしたが、その車については別の機会に取り上げることにして、今回のアメリカ便りはたった6ヶ月で私の許を去った車についてお話ししようと思います。この車はある意味で私の記憶の中で際立っていて、その理由は29台のうち自分で乗っているのが耐えられずに手放した唯一の車だったからです。
幸運なことに、私は自分の所有車29台のほかにも最近まで職業の上やプライベートな機会にいろいろな車に乗れる立場にあったので、これまでに乗った車を全部合わせると恐らくその何十倍もの台数になるはずですが、そのうちで躊躇なしに最悪と呼べるのはごく小数です。
その1台がシボレー・シェヴェット(Chevrolet Chevette)です。私のところにあったのは1978年型4ドアハッチバックでした。語尾が同じ「vette」でもシボレー・コルベットとは大いに違うシェヴェットという車はすぐにピンとこない方々もおられると思うので簡単に説明します。
シェヴェットは1976年から87年の間に北米向けに生産・販売された低価格の小型車です。社内コードでT-Carと呼ばれたプラットフォームはオリジナルの設計をオペルが担当し、北米以外ではドイツでオペル・カデット、イギリスでヴォクソール・シェヴェット、日本でいすゞ・ジェミニ、オーストラリアでホールデン・ジェミニ、そしてブラジルでシボレー・シェヴェットとして販売されたいわゆるワールドカーのはしりと言えます。
設計自体は非常にコンベンショナルで一体構造のボディーに縦置きの直4エンジンを前に積んでリジッドアクスルから後輪を駆動しました。アメリカ向けシェヴェットに搭載されたSOHCをもつエンジンは最初の2年間が1.4リッター、そのあと1.6リッターに拡大され、4速マニュアルまたは3速トルコン付オートマチックと組み合わされるこの時代の標準的な構成でした。
アメリカ向けシェヴェットは上記のTカーファミリーのうちイギリス向けシェヴェットとハッチバックスタイルのボディーを共有しています。写真は私の車と同じ年代の2ドアハッチバック車です。
  

私の車は1979年の夏、知人を介して紹介された人が約1年使った車を譲ってもらったものでしたが、いざ引き取って通勤を含む毎日の足に使い始めたところ、弱いトルクと3速オートマチックによる鈍重な加速性能、結構ボディがロールする割には硬くしなやかさに欠けた乗り心地、動力系ノイズのざらついた音質、腰がなく平板的でサポートに欠けるシート、いかにも安っぽい室内外のトリムの材質と仕上げなど数多くの欠点が目に付き、一方満足感を与える長所はと言えば正直のところなにひとつとして見当たりませんでした。
シェヴェットの名誉のために付け加れば、私の手元にあった期間の故障は皆無でした。しかし所有する事自体に満足感が得られる趣味の対象としてのクラシックカーならいざ知らず、このレベルの信頼性は実用車には備わっているのが当たり前ですからそれをあえて長所とは呼べません。毎日の足に使うだけならそれで十分と言う人もいるかもしれません。その人は恐らく自動車を冷蔵庫や掃除機などと同様に単なる生活の道具として考えているのでしょうが、たとえ日常の足であっても自動車を走らせるたびにそれを自分に授けられた幸運な特典と考える私としては、信頼性以上のpride and joyとしての要素を求めずには居られません。
言い訳になってしまうのですが、この車を購入した時私の予算は限られていて、そのうえ早急に車が入用という事情のためにあれこれ探して選ぶ暇がなく、少ない出費ですぐに入手できるという理由だけで即決したのです。たまたまその頃は私個人にとって仕事の上で難しい時期でもあったのですが、毎夕ストレスを抱えての帰宅のドライブに心の安らぎを覚えるどころか、みじめな気持ちがつのっていたたまれなくなり、半年後にとうとう買い替えの決心をしました。
自動車をハードウェアとして見た場合、不満を感じた車はほかにもいくつもありました。例えば1970年代半ばに買ったフォルクスワーゲンのマイクロバス。ワンボックススタイル車の外回りの寸法に比べる室内空間の効率の良さを日常の生活で体験したいとの気持ちから半ば実験的に購入しました。使ってみると長方形の平らで大きな側面とリアエンジンの重量配分のため横風に対する直進性が予想以上に悪いことが判明、長距離旅行では疲労の大きな原因になりました。極端な場合は横風に対抗して時速60マイルを保ってまっすぐ走るのにステアリングを45度も切らねばならないこともありました。また、長時間のフリーウェイ巡航では高い視点と大きなウィンドシールドがもたらす視界の広さがかえって災いして動く路面が間近に見え過ぎ、これも疲労の原因になるということに気づきました。
この他にもドライな路面でもリアブレーキがロックしやすかったシボレー・サイテーション、横風に弱くちょっと強く踏むとブレーキが簡単にフェードしたシボレー・コルベア、ミッドエンジンの運動性の良さが災いして雪道ではスピンしないよう細心の注意を必要としたポンティアック・フィエロ、ホイールベースの短さと背の高いボディーのためフリーウェイの巡航が苦手だった旧型シボレー・トラッカーなど、みな低価格帯にある車ですが、今となってはむしろ懐かしく思い出されます。しかし我慢できずに手放したという車はシェヴェットの他には1台もありませんでした。
どうしてシェヴェットが私の経験の中で最悪の車と言う不面目なタイトルを付けられることになったのか、私の解釈は次の通りです。つまりこの車は乗るたびにオーナーとしてひそかに誇りと満足を感じさせる特長をなにひとつとして持たなかったのです。恐らく低コスト達成のためにスペックシートからあれを削りこれを低い性能のものと交換した結果、出来上がったのは抜け殻のような車だったということだと思います。この点が上に挙げた車との決定的な違いです。
当然ながら、商品としての自動車は価格設定が低くなるほどコストの制限が多くなって数々の妥協を強いられることになります。それはやむを得ないことですが、同時に商品としての自動車はいかにコストを削っても最低ひとつはオーナーが常に誇りを感じる特長を持っていなければならない、という私の持論はこの時の経験が基になっています。一点豪華主義の考え方とも言えますが、それによってその車の魅力と価値がぐんと上がると思うのです。
それでは毎日の足としての低価格な実用車に望ましい特長とはどのようなものが相応しいか、私の提案をいくつか挙げてみます。

1.快適なシート。私のイメージ上のベンチマークはシトロエンDS/ IDです。1955年に登場し、その革新的な設計と造形で世界を驚かせた車ですが、実は私にとって1970年代半ばにパリを訪れた時に後席に乗ったDSのタクシーがただ一度の経験です。しかしその布張りシートの絶妙な快適さは今も忘れられません。
2.すぐれた燃費。私に強い印象を与えた好燃費の経験は1980年代後半に乗ったアウディ100の直噴ディーゼル車です。100は当時のアウディ車のうち高級車の位置付けでかなり大きなボディを持った車でしたが、特に燃費を意識せずに走った市街地とフリーウェイ両方を含む500マイルの走行で平均がガロン当たり40マイル、すなわちリッター当たり17キロを記録しました。仮にシェヴェットがこの位の燃費を達成していたらもっと長く乗っていただろうと思います。
3.乗り心地。低価格で乗り心地の良い車と言うと、シトロエン2CVとVWビートルが頭に浮かんできます。大径のタイヤと大きなストロークを持った軟らかいスプリングのサスペンションの組み合わせによる乗り心地は両車の長寿の秘訣のひとつだったのだろうと思います。ただ古い設計時点を反映して、両車とも角のある突起を乗り越える時のハーシュネスと呼ばれるゴツゴツした感触の遮断はあまり得意ではありませんでした。ハーシュネスの遮断を含む乗り心地のコントロールがうまく決まっていた車として私にとって特に印象深いのは90年代前半のオールズモビル88です。
4.スタイリング。比較的安価で抜群に美しいスタイリングを持った車の例として私が推すのはカルマンギアクーペです。プアマンズポルシェと呼ばれることもあったこの車はベースとなったVWビートルよりは高価でしたが、さらに高価な同時代のポルシェ356と比べても私はデザインのバランスの良さでは劣らないと言うよりむしろ優れていると思います。
5.高品質感。品質感を決定する大切な要素と私が考えるのは先ずドライバーが常に操作するコントロール類、すなわちステアリング、ペダル類、ギアシフターなどの操作・作動感や剛性感、スイッチ類の触感・操作感・作動音などです。またいわゆる見栄え品質、特に室内トリムの製造精度・組付け精度・材質・触感も重要です。この分野は概ねコストと効果が正比例しますが、低コストの車には無縁のものかと言えば必ずしもそうでもありません。いま我が家の日常の足はサターン・アストラで、ヨーロッパのオペル・アストラを輸入し昨年から小型サターンとして売り出されている車ですが、近代ドイツデザインの典型と言える硬い鉛筆の芯をとがらせてきっちり描いたような印象のインストルメントパネル周りの品質感はこのクラスの車では一昔前には考えられなかったものです。
6.優れたコンセプト。抜きん出たコンセプトのために成功した量産車は数多くあります。よい例のひとつがご存知1960年に発売されたオリジナルのミニで、それまでの常識を覆すパッケージングと操縦性、それに加えて可愛らしくファンキーな外観があらゆる顧客層を惹きつけました。ほかの例としてはハイブリッドの動力源による高いエネルギー効率と低公害というコンセプトを市場に導入した1997年発売の初代トヨタ・プリウス、普通の家のガレージにおさまるサイズで伝統的なワゴンをはるかに上回る収容能力を持った1983年発売のクライスラー・ミニバンなど、皆それぞれ欠点を持っていたにも拘らずそれを補って余りある魅力が成功のカギとなりました。
7.私が初めてアメリカに来た1960年代半ばの典型的な低価格車といえば、当時大多数のユーザーが標準と考えていたフルサイズのシボレーやフォードのベースモデルでした。この頃は車のサイズの選択肢が今よりもはるかに少なく、50年代終わりに登場した中型の「コンパクトカー」も存在したのですが、主流は明らかにフルサイズでした。VWビートルが開拓した本格的な小型車の市場にアメリカの国産車が現れるのは70年代まで待たねばなりません。


60年代にはすでにいろいろな装備品をオプションとして顧客が選ぶシステムが確立していましたが、必然的にフル装備のトップモデルから低価格帯に移行するにつれて装備を減らすという手法がとられました。その結果インストルメントパネルから時計やラジオやエアコンを省略してその痕をメクラ板で塞いだり、シートの表皮に布地の代わりにビニールを使うということがよく行われていました。
またパワーウィンドウやパワードアロックはもちろん、ステアリングのパワーアシストすらオプションとなっていて、トランスミッションはもちろん3段マニュアルのコラムシフトが標準でした。そのようにしてストリップダウンされたベースモデルはトップモデルの高級感に比べ見事なほど安物の雰囲気を漂わせる割り切りようで、日本ではトップモデルしか見る機会のなかった私は戸惑いを感じたものです。
70年代に入って小型車が一般に受け容れられる様になっても、小型車=低価格=安物 の概念は買う人だけでなく作る人の側にとっても当たり前であったと思います。シボレー・シェヴェットという車も明らかに同じ概念で作られていました。あれから30年以上経ったいま、輸入車の品質・性能の向上による刺激と市場からの要望が後押しとなって、アメリカの小型実用車はようやく安物一辺倒の引き算のアプローチから抜け出したと言えると思います。


それではまた、次回にお目にかかりましょう。

(鈴木太郎記、2009年3月7日)

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